どの教科,どの単元にのぞむにも,当然評価する目をもってのぞみます。
「この時間の,この活動を見て,評価をつけよう」
その際には評価基準というものをもってのぞみます。
(「規準」も使われますが,ここでは「基準」で)
3段階評価だとすれば,「どこまでできればA」「どこまでだったらB」「Bも満たしてなければC」といった具合です。
単純にテストの点数で評価をする場合には,この基準が点数で表されるでしょう。
テストでなく,発表や作品等によるものだったら,この基準はそれらに沿った具体的なものになるでしょう。
さて,ところでこれらの評価の基準ですが,先生の中では当然明確にもっておくべきですが,子どもたちに対してはどうでしょうか。
なにか,評価や成績といったことになると,子どもたちには「内緒」というイメージが強いように思います。
先生がもっている評価のものさしは,子どもたちには明かしてはいけないような思い込みがないでしょうか。
子どもの発達段階にもよるのかもしれませんが,
必要であれば,評価の基準は子どもたちにも示し,共有する!
こともあっていいのではないかと思います。
評価される側の子どもたちからすれば,なぜ「A」がとれたのか,なぜ「B」しかとれなかったのか,それを知る権利はあるはずですし,知りたいと思う子もいることでしょう。
小学校段階では,テストを除けば,通知表以外に露骨に成績が表わされるものはほとんどありませんが,その通知表の付け方だって,子どもに示しておく意味はあると思います。
直接,通知表への成績だけでなく,単元や活動ごとに,「今回は,~という基準で,3段階で評価をします。」ということを,示すことが,あってもいいのではないでしょうか。
例えば,
体育のマット運動
→それぞれの技で,「形よくできている,A」「形はくずれていても何とかできている,B」「できていない,C」
国語のスピーチ
→「声が大きく聴きやすい」「感情がこめられている」「顔を上げている」のうち,3つできていればA,2つならB,1つ以下ならC
図工の版画
→「場面や人を生き生きと表せている」「彫刻刀の使い方を工夫している」「けがなく安全に,正しく彫刻刀を使える」のうち,3つできていればA,2つならB,1つ以下ならC
「・・・ということで,先生は評価をつけます。」
と,活動にのぞむ前に,子どもたちに分かりやすく示します。
そうすることで,子どもたちも「がんばる目安」ができますね。
これからのぞむことで,何に気をつけなくてはいけないのか,何に工夫すればいいのか,自分の能力と照らし合わせて,目標はどこに置けばいいかが,考えられるようになります。
それは,活動にのぞむ上で大きな意味があると思います。
加えて,先生がつける成績に納得がいくようになります。
「なんで『◎』じゃなくて『○』しかとれなかったんだ?」なんて,不快な疑問が少なくなることでしょう。
すべての活動に対してできることではありませんが,評価基準を子どもと共有する姿勢というのは,日頃から先生がもっていてもよいと感じます。