<犬には嘘つきを見抜く能力がある!―京都大研究> 2015年3月8日(日)9時55分配信 マイナビスチューデントより引用
犬は非常に頭のいい動物とされています。言葉によるコマンドを理解し、方向を指差すとその意味も理解し(チンパンジーには出来ないこともあるらしいです)、また、最近の研究では、人間の顔の表情から怒りや喜びなどの感情を読み取る事が出来ることも分かりました。
さらに昨年10月、京都大学の研究者高岡晶子氏がAnimal Cognitionに発表した研究によると、犬は自分たちを騙そうとしている人間もすぐに解る、という結果が出ました。
実験では34匹の飼い犬を対象に、次のようなテストを行いました。まず、二つの入れ物を用意し、一つにはオヤツを入れ、もう一つは空のままにしておきます。
(1)まず、オヤツの入った方の入れ物を、犬に指を差して教えます。
(2)次に両方の入れ物を見せ、空の方の入れ物を指差します。
(3)(1)と同様に、同じ人間がオヤツの入っている方の入れ物を指差してみせます。
(1)の段階ではオヤツに向かって行った犬たちも、(3)の段階ではその殆どが指先を追わず、明らかに実験者を信用していない態度を見せたそうです。たったこれだけの経験から、この人間は自分を騙そうとしている、と即座に判断したというわけです。
指先の指示の意味を読み取る力があることはもちろんですが、相手が信用できるかを判断するのも、非常に早いことが解ります。
「こんなことは、御大層に研究発表してもらわなくても分かっている」という愛犬家の声が聞こえてきそうな記事である。
我が家の愛犬は我が家で一番賢いので、家内喧嘩では誰が悪いか一目で見抜き、悪者に向かって吠えたてる。これをされると、誰が仲裁に入るより効果的。
また「来い」と呼ぶと、呼ばれる必要性を彼自身が判断し、必要とあらば駆けつけるが、「意味なし」と判断すると横目で見ながら動こうとしない・・・・・賢すぎる。
しかも、人間以上に人の気持ちに敏感で、人様にあれこれ詮索されたくはないが辛く悲しい気分の時には、黙って静かに隣にきて、体を摺り寄せ座ってくれる・・・・・賢すぎる。
動物を家族として暮らす群れの心の交流は、群れ内部でしか分かりにくく客観的データーは取りにくいので、大学で言わずもがなな研究をする必要があるのかもしれないが、犬が人間の感情を読み取ることができるのを当然のこととして描いている本は数多くある。
犬が飼い主の哀しみを深く理解したがために復習の道具となってしまう「凍れる牙」(南乃アサ)
犬に復習相手を噛殺させるのは、刑法犯でいえば間接正犯が成立しうる犯罪だろうが、果たして犬は正犯の単なる道具かというと、違うと言うしかない。
小説最後に犬は、警察と猟友会に追い詰められ麻酔銃で撃たれるが、この犬が息を引き取るのは麻酔銃のせいではない。捉えられて以降、断固として餌を拒否するのだ。犬の自死。
犬が飼い主の悲しみを理解し行動し、全てが終わった後には、自分で自分自身に始末をつける。
ここまでくると、犬を道具とする間接正犯というより、目的のもと一心同体となる共謀共同正犯の感すらある。
「凍れる牙」 は犬が復習の道具として書かれているので、動物好きとしては物騒で多少不快感がないわけではないが、それを超えるほど、犬の生態の魅力が生き生きと描かれてもいる。
「凍れる牙」の犬は狼との混血だが、狼や犬を描く小説家に樋口明雄氏がいる。
自身が南アルプスで犬と生活するなかで得た問題意識が提起される作品が多いが、特に犬を題材とするものに、「天空の犬」 「ハルカの空」がある。
これは、東日本大震災の災害救助犬として南相馬で活動した後、山岳救助犬の研修を受け、南アルプスで山岳救助犬として活動するボーダーコリーとハンドラーの話だ。
ここで描かれる犬も、人間の指示通りに動くだけの存在でなく、震災や遭難という特殊な状況であっても人の感情が分かり、犬自身が精神を研ぎ澄ませて人命を救助する、人間のパートナーとして存在している。
『最近の研究では、人間の顔の表情から怒りや喜びなどの感情を読み取る事が出来ることも分かりました。』 と改めて言われなくとも、既に犬小説はもっと高度に人の感情が分かる様を描いているし、一度でも犬と暮らしたことがある人間には先刻承知のことだが、研究として正式に発表されることには、やはり意味があるのかもしれない、のかもしれない。
ペットといえば、犬猫とも野良ちゃんばかりを飼われている皇太子御一家だが、もと野良ちゃん達の顔が本当に良い。
一般に野良経験があると、人間を信用するまでに時間がかかると言われるが、皇太子御一家のペットは皆優しく穏やかな顔をして、人間に甘えている。
ペットがこのような顔になれるほど、皇太子御一家は優しく温かな家族関係なのだろう。京大の研究によれば、犬は人間の本心をすぐに見抜けるというのだから。
さて我が家は犬の目に、どう映っているのだろうか。
ところで、「天空の犬」も「ハルカの空」も図書館で借りて読んだので正確な記憶ではないが、皇族や某政党の総裁が山に登ることに関して、警備や登山道整備についての記載がある。
山に物々しい警備が入り込んだり、VIPのために過剰に自然が整備されるのは、確かに興醒めな点もあるが、多くの人が自然に関心を向けるきっかけになり、その安全面が見直される契機にもなると私は思うが、樋口氏が提起する「人と野生動物の共生」「自然と人間の共生」については、その本を通じて考え続けたいと思っている。
犬は非常に頭のいい動物とされています。言葉によるコマンドを理解し、方向を指差すとその意味も理解し(チンパンジーには出来ないこともあるらしいです)、また、最近の研究では、人間の顔の表情から怒りや喜びなどの感情を読み取る事が出来ることも分かりました。
さらに昨年10月、京都大学の研究者高岡晶子氏がAnimal Cognitionに発表した研究によると、犬は自分たちを騙そうとしている人間もすぐに解る、という結果が出ました。
実験では34匹の飼い犬を対象に、次のようなテストを行いました。まず、二つの入れ物を用意し、一つにはオヤツを入れ、もう一つは空のままにしておきます。
(1)まず、オヤツの入った方の入れ物を、犬に指を差して教えます。
(2)次に両方の入れ物を見せ、空の方の入れ物を指差します。
(3)(1)と同様に、同じ人間がオヤツの入っている方の入れ物を指差してみせます。
(1)の段階ではオヤツに向かって行った犬たちも、(3)の段階ではその殆どが指先を追わず、明らかに実験者を信用していない態度を見せたそうです。たったこれだけの経験から、この人間は自分を騙そうとしている、と即座に判断したというわけです。
指先の指示の意味を読み取る力があることはもちろんですが、相手が信用できるかを判断するのも、非常に早いことが解ります。
「こんなことは、御大層に研究発表してもらわなくても分かっている」という愛犬家の声が聞こえてきそうな記事である。
我が家の愛犬は我が家で一番賢いので、家内喧嘩では誰が悪いか一目で見抜き、悪者に向かって吠えたてる。これをされると、誰が仲裁に入るより効果的。
また「来い」と呼ぶと、呼ばれる必要性を彼自身が判断し、必要とあらば駆けつけるが、「意味なし」と判断すると横目で見ながら動こうとしない・・・・・賢すぎる。
しかも、人間以上に人の気持ちに敏感で、人様にあれこれ詮索されたくはないが辛く悲しい気分の時には、黙って静かに隣にきて、体を摺り寄せ座ってくれる・・・・・賢すぎる。
動物を家族として暮らす群れの心の交流は、群れ内部でしか分かりにくく客観的データーは取りにくいので、大学で言わずもがなな研究をする必要があるのかもしれないが、犬が人間の感情を読み取ることができるのを当然のこととして描いている本は数多くある。
犬が飼い主の哀しみを深く理解したがために復習の道具となってしまう「凍れる牙」(南乃アサ)
犬に復習相手を噛殺させるのは、刑法犯でいえば間接正犯が成立しうる犯罪だろうが、果たして犬は正犯の単なる道具かというと、違うと言うしかない。
小説最後に犬は、警察と猟友会に追い詰められ麻酔銃で撃たれるが、この犬が息を引き取るのは麻酔銃のせいではない。捉えられて以降、断固として餌を拒否するのだ。犬の自死。
犬が飼い主の悲しみを理解し行動し、全てが終わった後には、自分で自分自身に始末をつける。
ここまでくると、犬を道具とする間接正犯というより、目的のもと一心同体となる共謀共同正犯の感すらある。
「凍れる牙」 は犬が復習の道具として書かれているので、動物好きとしては物騒で多少不快感がないわけではないが、それを超えるほど、犬の生態の魅力が生き生きと描かれてもいる。
「凍れる牙」の犬は狼との混血だが、狼や犬を描く小説家に樋口明雄氏がいる。
自身が南アルプスで犬と生活するなかで得た問題意識が提起される作品が多いが、特に犬を題材とするものに、「天空の犬」 「ハルカの空」がある。
これは、東日本大震災の災害救助犬として南相馬で活動した後、山岳救助犬の研修を受け、南アルプスで山岳救助犬として活動するボーダーコリーとハンドラーの話だ。
ここで描かれる犬も、人間の指示通りに動くだけの存在でなく、震災や遭難という特殊な状況であっても人の感情が分かり、犬自身が精神を研ぎ澄ませて人命を救助する、人間のパートナーとして存在している。
『最近の研究では、人間の顔の表情から怒りや喜びなどの感情を読み取る事が出来ることも分かりました。』 と改めて言われなくとも、既に犬小説はもっと高度に人の感情が分かる様を描いているし、一度でも犬と暮らしたことがある人間には先刻承知のことだが、研究として正式に発表されることには、やはり意味があるのかもしれない、のかもしれない。
ペットといえば、犬猫とも野良ちゃんばかりを飼われている皇太子御一家だが、もと野良ちゃん達の顔が本当に良い。
一般に野良経験があると、人間を信用するまでに時間がかかると言われるが、皇太子御一家のペットは皆優しく穏やかな顔をして、人間に甘えている。
ペットがこのような顔になれるほど、皇太子御一家は優しく温かな家族関係なのだろう。京大の研究によれば、犬は人間の本心をすぐに見抜けるというのだから。
さて我が家は犬の目に、どう映っているのだろうか。
ところで、「天空の犬」も「ハルカの空」も図書館で借りて読んだので正確な記憶ではないが、皇族や某政党の総裁が山に登ることに関して、警備や登山道整備についての記載がある。
山に物々しい警備が入り込んだり、VIPのために過剰に自然が整備されるのは、確かに興醒めな点もあるが、多くの人が自然に関心を向けるきっかけになり、その安全面が見直される契機にもなると私は思うが、樋口氏が提起する「人と野生動物の共生」「自然と人間の共生」については、その本を通じて考え続けたいと思っている。