「共震」(相場英雄)について、この二日ばかり書いていたが、一般に「きょうしん」といえば、「共振」の字が浮かぶ。
この「共振」にも、自分は多少なりとも思い入れがある。
千住真理子氏とその母文子氏の本を熱心に読んでいた時期がある。
図書館で借りて読んだものも多く、出典をすべて明らかには出来ないが、真理子氏が「共振」という言葉を使っていた記憶がある。
「ヴァイオリンは弾き手の骨を使って奏でる楽器。体全体の骨が共振して床で増幅し、ついにはホール全体に響く。体は楽器の一部である」と。
同様の内容を母文子氏は、真理子氏の師江藤俊哉氏の言葉として著書で記している。
『ヴァイオリニストの鎖骨は丸く膨れ上がる。そして人間の身体中のすべての骨が、音の響きのために働く。つまり、身体すべてが、ヴァイオリンに合せて共鳴する』「千住家にストラディヴァリウスが来た日」(千住文子)
ヴァイオリンの音色を決めるのは、魂柱という部分だそうで、この命名からして心惹かれるものがあるが、やはり、「弾き手の骨とヴァイオリンが共鳴して出た音色が、体全体の骨に伝わり、それが床と共振して聞き手に伝わる」というところに強く惹かれるのは、その楽器の特性が真理子氏の半生に重なるからだと思う。
子供の頃から天才少女の名を欲しいままにし早くからプロとして活躍していた彼女は、20歳の頃、心を病みヴァイオリンの世界を離れる。
妬み嫉みの対象になることに、子供の心が耐えられなかったこともあるだろうし、生きるために必要な時間以外は練習にあてるという過酷な生活からくる疲労もあっただろう。
千住家は一丸となって真理子氏を支えるが、彼女の心の安らぎの場である慶應という(音楽に無関係な)学校に属していることが逆に、音楽会が彼女を守るという体制をとらない原因にもなるという複雑な問題もあった。
心を病み、音楽から離れた真理子氏が人前でヴァイオリンを弾くのに、2年の月日を要するが、それはかつての大ホールでの演奏会ではなく、死を目前にした人ばかりが入院しているホスピスからの依頼がきっかけだった。
「演奏はもうしない」 と断る彼女にホスピスの人は言う。
『ヴァイオリニストとしてお願いしているわけじゃない。昔あなたのファンだった人が余命いくばくもないのです。一人の人間としてどうされますか』
この言葉に促され、およそ2年ぶりにヴァイオリンを人前で演奏することになった時、死を目前にしている患者である聴衆が望んでいるのは、完璧な演奏ではなく、心を入れた音なのだと気付く。
演奏後、『生きていてよかった。毎日ただただ、苦しんでばかりで、何のために生きているんだろうって思っていたんですよ。でも千住さんの演奏を聴いて、ああ今日までとにかく頑張って生きててよかったなあって、そう思いましたよ。ありがとう』という患者に対し、真理子氏は「私の方こそありがとうございます」と言うしかなかった。
そして、その患者は、一週間後に天に召された。
これを、きっかけに真理子氏は、心を入れた音を目指して、もう一度ヴァイオリンを始めるが、復帰は容易ではなかった。
2年間休んだのだから、2年間死に物狂いで練習すれば、元に戻るかと練習したが、2年経っても戻らない。
「自分はいったいどこまで落ちるのだろう」と苦しみながら、あと一年、もう一年と続けて、ようやっと7年目に指の感覚が戻る、というより「心の音」を見つけることが出来なのだと思う。
この経緯は「聞いて、ヴァイオリンの詩」(千住真理子)に詳しく書かれているが、それが強く心に残ったのは、この本に出会った頃に、雅子妃殿下の心の病を少しでも知りたいと思い始めていたからだ。
閉ざされた世界、しかし一度ステージに上がれば煌々としたスポットライトを浴びる。
光が強ければ強いほど、生じる影も濃くなる。
芸術家庭であったわけではなく、音楽学校に通っていたわけでもない子供の真理子氏が、妬みと嫉みと大人の思惑の影に押しつぶされていく過程は読んでいて辛かった。
しかし、家族が一丸となり支え合い、真理子氏もホスピスでの出会いをきっかけに、元の世界に戻ろうとする。
戻ろうと、もがき苦しむが何年経っても、音が出ない。
空白の時間を取り戻すには、それと同じ時間をかけるだけでは無理なのだ。
真理子氏の場合は、ヴァイオリンを弾く技量の問題に思えるかもしれないが、実はそうとばかりもいえない。
家での練習では音が出るのに、ステージでは出ないというのは、やはり心の問題が作用していたのだと思うのだ。
7年を要した。
真理子氏の父の千住兄妹への教え
『 近道を探すな。そういうずるい方法を考えるな。
遠い道を苦労して歩きなさい。
そして根をあげずに頑張りなさい 』
雅子妃殿下は、心の病に倒れる前に、何年にもわたり、辛い治療や心無い視線にさらされたことだと思う。
雅子妃殿下の、あのこちら側まで温かくなるような笑顔の光は、闇と影の存在を浮き彫りにし、それが雅子妃殿下を苦しめたのかもしれない。
病に至る以上の時間が回復に必要なのだとすれば、御回復には相当の時間を要するのだと思われる。
しかし、7年の苦しみを経て、真理子氏が今ストラディヴァリスのデュランティちゃんを手に、心の音を奏でているように、
必ずや雅子妃殿下も復帰され、その苦しみや悲しみを昇華させた雅子妃殿下だけの愛を示して下さると、私は信じている。
光は必ずや闇に勝つ!
千住真理子
「聞いて、ヴァイオリンの詩」
「生命が音になるとき 不思議なヴァイオリン」
千住文子、千住真理子
「母と娘の協奏曲」
千住文子
「千住家の教育白書」
「千住家にストラディヴァリウスが来た日」
「千住家の命の物語」
この「共振」にも、自分は多少なりとも思い入れがある。
千住真理子氏とその母文子氏の本を熱心に読んでいた時期がある。
図書館で借りて読んだものも多く、出典をすべて明らかには出来ないが、真理子氏が「共振」という言葉を使っていた記憶がある。
「ヴァイオリンは弾き手の骨を使って奏でる楽器。体全体の骨が共振して床で増幅し、ついにはホール全体に響く。体は楽器の一部である」と。
同様の内容を母文子氏は、真理子氏の師江藤俊哉氏の言葉として著書で記している。
『ヴァイオリニストの鎖骨は丸く膨れ上がる。そして人間の身体中のすべての骨が、音の響きのために働く。つまり、身体すべてが、ヴァイオリンに合せて共鳴する』「千住家にストラディヴァリウスが来た日」(千住文子)
ヴァイオリンの音色を決めるのは、魂柱という部分だそうで、この命名からして心惹かれるものがあるが、やはり、「弾き手の骨とヴァイオリンが共鳴して出た音色が、体全体の骨に伝わり、それが床と共振して聞き手に伝わる」というところに強く惹かれるのは、その楽器の特性が真理子氏の半生に重なるからだと思う。
子供の頃から天才少女の名を欲しいままにし早くからプロとして活躍していた彼女は、20歳の頃、心を病みヴァイオリンの世界を離れる。
妬み嫉みの対象になることに、子供の心が耐えられなかったこともあるだろうし、生きるために必要な時間以外は練習にあてるという過酷な生活からくる疲労もあっただろう。
千住家は一丸となって真理子氏を支えるが、彼女の心の安らぎの場である慶應という(音楽に無関係な)学校に属していることが逆に、音楽会が彼女を守るという体制をとらない原因にもなるという複雑な問題もあった。
心を病み、音楽から離れた真理子氏が人前でヴァイオリンを弾くのに、2年の月日を要するが、それはかつての大ホールでの演奏会ではなく、死を目前にした人ばかりが入院しているホスピスからの依頼がきっかけだった。
「演奏はもうしない」 と断る彼女にホスピスの人は言う。
『ヴァイオリニストとしてお願いしているわけじゃない。昔あなたのファンだった人が余命いくばくもないのです。一人の人間としてどうされますか』
この言葉に促され、およそ2年ぶりにヴァイオリンを人前で演奏することになった時、死を目前にしている患者である聴衆が望んでいるのは、完璧な演奏ではなく、心を入れた音なのだと気付く。
演奏後、『生きていてよかった。毎日ただただ、苦しんでばかりで、何のために生きているんだろうって思っていたんですよ。でも千住さんの演奏を聴いて、ああ今日までとにかく頑張って生きててよかったなあって、そう思いましたよ。ありがとう』という患者に対し、真理子氏は「私の方こそありがとうございます」と言うしかなかった。
そして、その患者は、一週間後に天に召された。
これを、きっかけに真理子氏は、心を入れた音を目指して、もう一度ヴァイオリンを始めるが、復帰は容易ではなかった。
2年間休んだのだから、2年間死に物狂いで練習すれば、元に戻るかと練習したが、2年経っても戻らない。
「自分はいったいどこまで落ちるのだろう」と苦しみながら、あと一年、もう一年と続けて、ようやっと7年目に指の感覚が戻る、というより「心の音」を見つけることが出来なのだと思う。
この経緯は「聞いて、ヴァイオリンの詩」(千住真理子)に詳しく書かれているが、それが強く心に残ったのは、この本に出会った頃に、雅子妃殿下の心の病を少しでも知りたいと思い始めていたからだ。
閉ざされた世界、しかし一度ステージに上がれば煌々としたスポットライトを浴びる。
光が強ければ強いほど、生じる影も濃くなる。
芸術家庭であったわけではなく、音楽学校に通っていたわけでもない子供の真理子氏が、妬みと嫉みと大人の思惑の影に押しつぶされていく過程は読んでいて辛かった。
しかし、家族が一丸となり支え合い、真理子氏もホスピスでの出会いをきっかけに、元の世界に戻ろうとする。
戻ろうと、もがき苦しむが何年経っても、音が出ない。
空白の時間を取り戻すには、それと同じ時間をかけるだけでは無理なのだ。
真理子氏の場合は、ヴァイオリンを弾く技量の問題に思えるかもしれないが、実はそうとばかりもいえない。
家での練習では音が出るのに、ステージでは出ないというのは、やはり心の問題が作用していたのだと思うのだ。
7年を要した。
真理子氏の父の千住兄妹への教え
『 近道を探すな。そういうずるい方法を考えるな。
遠い道を苦労して歩きなさい。
そして根をあげずに頑張りなさい 』
雅子妃殿下は、心の病に倒れる前に、何年にもわたり、辛い治療や心無い視線にさらされたことだと思う。
雅子妃殿下の、あのこちら側まで温かくなるような笑顔の光は、闇と影の存在を浮き彫りにし、それが雅子妃殿下を苦しめたのかもしれない。
病に至る以上の時間が回復に必要なのだとすれば、御回復には相当の時間を要するのだと思われる。
しかし、7年の苦しみを経て、真理子氏が今ストラディヴァリスのデュランティちゃんを手に、心の音を奏でているように、
必ずや雅子妃殿下も復帰され、その苦しみや悲しみを昇華させた雅子妃殿下だけの愛を示して下さると、私は信じている。
光は必ずや闇に勝つ!
千住真理子
「聞いて、ヴァイオリンの詩」
「生命が音になるとき 不思議なヴァイオリン」
千住文子、千住真理子
「母と娘の協奏曲」
千住文子
「千住家の教育白書」
「千住家にストラディヴァリウスが来た日」
「千住家の命の物語」