昨日の題名「人を導くもの」で犬を示唆したのは、エジプトの神話によるものだ、たぶん。
曖昧な記憶で情けないが、グラハム・ハンコックの「神々の指紋」か「創世の守護神」のどちらかで、「エジプト神話では、犬は人を導くものとして特別な存在」という内容を読んだ記憶があり、犬好きの自分としては非常に納得できる説であったため、妙に記憶に残っていたのだ。
では、日本で人を導くものといえば、神武東征の八咫烏だろう。
神武天皇ははじめ、瀬戸内海から河内に入り大和に向かおうとするが、大和の豪族ナガスネビコの反撃にあい撤退。
この時、神武天皇は太陽神アマテラスオオミカミの子孫でありながら太陽に向かって進撃した戦法が間違っていたと考える。そこで、紀伊半島を迂回し北上したうえで、太陽を背負って大和を目指す戦法に変えるが、熊野で熊に襲われたり道に迷ったり停滞しているところに、
神の声が。
「天より八咫烏を遣わそう。八咫烏の導きに従いなさい」
この八咫烏の導きに従い神武天皇は大和の橿原に入られたので、八咫烏は「導きの神」といわれている。
皇太子様も悩まれることが多いと思う。
しかし、誕生日のお言葉で述べておられる通り、 「『忠恕』と『天命を知る』という教えに基づいて、他人への思いやりの心を持ちながら、世の中のため、あるいは人のために私としてできることをやっていきたい」 という目的地は示されている。
迂回されることも後退されることもあるかもしれないが、八咫烏の導きのもと、必ずや太陽を背負われ真理の王道を歩まれると信じている。
ところで昨日9日、吉野のやたがらすが、国に意見を申した。
会議の依頼主からすれば、飼い犬に手を噛まれた気分がする具申であったことだと思う。
しかし、目的を成就させるのに、何事も一直線最短距離が有効とは限らない。
時に迂回し、撤退し、迷走し、考えているうちに、時満ちて太陽の道が通ずる、ということもある。
ここは一つ、吉野のやたがらすの声に耳を貸すのも一案だと思う。
曖昧な記憶で情けないが、グラハム・ハンコックの「神々の指紋」か「創世の守護神」のどちらかで、「エジプト神話では、犬は人を導くものとして特別な存在」という内容を読んだ記憶があり、犬好きの自分としては非常に納得できる説であったため、妙に記憶に残っていたのだ。
では、日本で人を導くものといえば、神武東征の八咫烏だろう。
神武天皇ははじめ、瀬戸内海から河内に入り大和に向かおうとするが、大和の豪族ナガスネビコの反撃にあい撤退。
この時、神武天皇は太陽神アマテラスオオミカミの子孫でありながら太陽に向かって進撃した戦法が間違っていたと考える。そこで、紀伊半島を迂回し北上したうえで、太陽を背負って大和を目指す戦法に変えるが、熊野で熊に襲われたり道に迷ったり停滞しているところに、
神の声が。
「天より八咫烏を遣わそう。八咫烏の導きに従いなさい」
この八咫烏の導きに従い神武天皇は大和の橿原に入られたので、八咫烏は「導きの神」といわれている。
皇太子様も悩まれることが多いと思う。
しかし、誕生日のお言葉で述べておられる通り、 「『忠恕』と『天命を知る』という教えに基づいて、他人への思いやりの心を持ちながら、世の中のため、あるいは人のために私としてできることをやっていきたい」 という目的地は示されている。
迂回されることも後退されることもあるかもしれないが、八咫烏の導きのもと、必ずや太陽を背負われ真理の王道を歩まれると信じている。
ところで昨日9日、吉野のやたがらすが、国に意見を申した。
会議の依頼主からすれば、飼い犬に手を噛まれた気分がする具申であったことだと思う。
しかし、目的を成就させるのに、何事も一直線最短距離が有効とは限らない。
時に迂回し、撤退し、迷走し、考えているうちに、時満ちて太陽の道が通ずる、ということもある。
ここは一つ、吉野のやたがらすの声に耳を貸すのも一案だと思う。