<生まれ変わった姫路城、ブルーインパルスも祝福> 2015年03月26日 12時42分読売新聞より一部引用
平成の大修理を終えた世界遺産・姫路城(兵庫県姫路市)で26日、完成記念式典が行われ、航空自衛隊の曲技飛行隊ブルーインパルスが上空を舞って、真っ白に生まれ変わった大天守を祝福した。
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真っ青な空と別名を白鷺城ともいわれる姫路城。それだけでも絵になるが、平成の大修理を終えた記念式典に「青い衝撃」が走った。
ここに、その画像が入れば最高に絵になるが、今は主役の(修理を終えたばかりの)姫路城を飾っておく。
さて、何故に行ったこともない姫路城に親しみを感じるのかと考えると、暴れん坊将軍のタイトルバックだと気が付いた。白馬の新さんが、富士山や桜咲く姫路城とともに映っている、あのタイトルバックだ。
当然のことながら、新さんがいるのは江戸城だし、初代徳川家康はともかく曾孫の新さんは富士山とも縁がなさそうだが、それでもタイトルバックに富士山と満開の桜と姫路城をもってきて、それが製作者の意図通りに視聴者の記憶に残っているのは、青空に映える天守閣と、桜と、富士山は日本人の心に組み込まれた原風景だからかもしれない。
もしかしたら逆も真なりか?
航空自衛隊というと、これまた縁がないのだが、自衛隊機を初めて意識して見たのは4年前の3月13日の日曜日だった。
昨日26日のような青い空、被災地に向けて飛んでいく自衛隊機を「一人でも多くの救出を」という祈りを込めて見上げていた。
「我が軍」とかいう意見もあるが、最近では災害救助隊という認識が一般には強く、それゆえに支持も高まっている気もしないではないが、
この「青い衝撃」の雄姿は新しい認識の形成につながるのか、それが目的か?
自衛隊機というと、「天空の蜂」(東野圭吾)を思い出す。
かなり以上前に一度読んだ作品なのだが、東日本大震災の後に読み直すと、作中に描かれる緊急時の原子力発電所関連の対応や政府も含めた行政の対応が何やら生々しい。
「天空の蜂」の大筋は、航空自衛隊に納入直前のヘリコプターを乗っ取った犯人が、高速増殖炉の真上でホバリングをさせつつ、「直ちに日本中の原発を停止せよ、さもなくば爆弾搭載のヘリを高速増殖炉に落とす」と日本政府を強迫するいうものなのだが、この事件の犯行理由は、未だにエネルギー問題を真正面から考えることを避けている我々に問いかけてくるものがあり、とても20年も前に書かれた作品とは思えない。
津波と原発事故を書いた高嶋哲夫氏は日本原子力研究所出身だが、「天空の蜂」の東野圭吾氏は理科系作家ではあっても原子力が専門ではない。にもかかわらず東野氏は20年も前に、3・11原発事故時の行政の対応を彷彿とさせるような生々しい描写を書いている。そう考えると、専門家の高嶋氏ならずとも想定できた事態について、なぜ全ての関係者が準備してこなかったのかと悔まれてならない。
話しはそれるが、緊張感みなぎるストーリー展開のこの小説をさらに迫力あるものにしているのが、作品を通してホバリング音がビートを刻むかのように感じられることにあると思うが、これは作者の力量なのか、それとも大型ヘリのホバリングに何度か遭遇した経験がある自分独特の印象なのだろうか。
そんなことを思いながら真っ青な空に映える白鷺城とブルーインパルスの写真を、眺めていた。
・・・・・・・はっきり言って思考停止。
どんよりと重だるく、何もする気が起こらない。
もしかして、アレか?
ついに来たか。
聞くところによると、雅子妃殿下もアレの気がおありだという。
人様には「ついに今年から皆様のお仲間になってしまいました」と言いつつも、一度なったら完治は難しいアレとは認めたくない。
この鼻水も、絶え間ないくしゃみも、目のかゆみも、きっと寒の戻りで寒いなか睡蓮鉢を洗ったからに違いない、そうだと信じたい。
アレのはずがない。
御婚約が正式に整ったころ、雅子妃さんもアレらしいと何かに書かれていたが、そうであれば今頃は辛い時期であると思う。
知人のリタイアしたご両親などアレの時期は、アレがない沖縄に避難するほどだというから、皇太子御一家がこの時期にスキーにお出かけなのも、アレの襲来を避けて気分転換される必要があるのかもしれない。
奥志賀にもアレはあるだろうが、まだ雪深いため撒き散らされてはいないだろうし、強い味方ゴーグルもある。
年にたった一度のスキー旅行、大いに英気を養っていただきたいと願っている。
平成の大修理を終えた世界遺産・姫路城(兵庫県姫路市)で26日、完成記念式典が行われ、航空自衛隊の曲技飛行隊ブルーインパルスが上空を舞って、真っ白に生まれ変わった大天守を祝福した。
写真 出典ウィキペディア 平成の修理を終えた姫路城
真っ青な空と別名を白鷺城ともいわれる姫路城。それだけでも絵になるが、平成の大修理を終えた記念式典に「青い衝撃」が走った。
ここに、その画像が入れば最高に絵になるが、今は主役の(修理を終えたばかりの)姫路城を飾っておく。
さて、何故に行ったこともない姫路城に親しみを感じるのかと考えると、暴れん坊将軍のタイトルバックだと気が付いた。白馬の新さんが、富士山や桜咲く姫路城とともに映っている、あのタイトルバックだ。
当然のことながら、新さんがいるのは江戸城だし、初代徳川家康はともかく曾孫の新さんは富士山とも縁がなさそうだが、それでもタイトルバックに富士山と満開の桜と姫路城をもってきて、それが製作者の意図通りに視聴者の記憶に残っているのは、青空に映える天守閣と、桜と、富士山は日本人の心に組み込まれた原風景だからかもしれない。
もしかしたら逆も真なりか?
航空自衛隊というと、これまた縁がないのだが、自衛隊機を初めて意識して見たのは4年前の3月13日の日曜日だった。
昨日26日のような青い空、被災地に向けて飛んでいく自衛隊機を「一人でも多くの救出を」という祈りを込めて見上げていた。
「我が軍」とかいう意見もあるが、最近では災害救助隊という認識が一般には強く、それゆえに支持も高まっている気もしないではないが、
この「青い衝撃」の雄姿は新しい認識の形成につながるのか、それが目的か?
自衛隊機というと、「天空の蜂」(東野圭吾)を思い出す。
かなり以上前に一度読んだ作品なのだが、東日本大震災の後に読み直すと、作中に描かれる緊急時の原子力発電所関連の対応や政府も含めた行政の対応が何やら生々しい。
「天空の蜂」の大筋は、航空自衛隊に納入直前のヘリコプターを乗っ取った犯人が、高速増殖炉の真上でホバリングをさせつつ、「直ちに日本中の原発を停止せよ、さもなくば爆弾搭載のヘリを高速増殖炉に落とす」と日本政府を強迫するいうものなのだが、この事件の犯行理由は、未だにエネルギー問題を真正面から考えることを避けている我々に問いかけてくるものがあり、とても20年も前に書かれた作品とは思えない。
津波と原発事故を書いた高嶋哲夫氏は日本原子力研究所出身だが、「天空の蜂」の東野圭吾氏は理科系作家ではあっても原子力が専門ではない。にもかかわらず東野氏は20年も前に、3・11原発事故時の行政の対応を彷彿とさせるような生々しい描写を書いている。そう考えると、専門家の高嶋氏ならずとも想定できた事態について、なぜ全ての関係者が準備してこなかったのかと悔まれてならない。
話しはそれるが、緊張感みなぎるストーリー展開のこの小説をさらに迫力あるものにしているのが、作品を通してホバリング音がビートを刻むかのように感じられることにあると思うが、これは作者の力量なのか、それとも大型ヘリのホバリングに何度か遭遇した経験がある自分独特の印象なのだろうか。
そんなことを思いながら真っ青な空に映える白鷺城とブルーインパルスの写真を、眺めていた。
・・・・・・・はっきり言って思考停止。
どんよりと重だるく、何もする気が起こらない。
もしかして、アレか?
ついに来たか。
聞くところによると、雅子妃殿下もアレの気がおありだという。
人様には「ついに今年から皆様のお仲間になってしまいました」と言いつつも、一度なったら完治は難しいアレとは認めたくない。
この鼻水も、絶え間ないくしゃみも、目のかゆみも、きっと寒の戻りで寒いなか睡蓮鉢を洗ったからに違いない、そうだと信じたい。
アレのはずがない。
御婚約が正式に整ったころ、雅子妃さんもアレらしいと何かに書かれていたが、そうであれば今頃は辛い時期であると思う。
知人のリタイアしたご両親などアレの時期は、アレがない沖縄に避難するほどだというから、皇太子御一家がこの時期にスキーにお出かけなのも、アレの襲来を避けて気分転換される必要があるのかもしれない。
奥志賀にもアレはあるだろうが、まだ雪深いため撒き散らされてはいないだろうし、強い味方ゴーグルもある。
年にたった一度のスキー旅行、大いに英気を養っていただきたいと願っている。