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かぐや姫の大義

2015-03-31 17:00:00 | 
「異端の大義」を読みながら現実社会を見渡せば、「異端」の定義は国や時代で変わるもので、「時代に即した正しい判断を下せる資質を持たない経営者が君臨する企業は必ずや滅びる。」

「異端の大義」では、同族企業のトップは最後の最後まで、同族だけで経営を牛耳ることを諦めない。経営がいよいよ危なくなってメインバンクにも見放されようかという段になってさえ 「創業以来東洋に君臨してきた一族の血が絶える」とか「東洋は一族の血があってこその会社だ」と言い張り経営陣の刷新を受け入れようとしない。
同族企業の社長にとっての大義とは、偉大な創業者の血をひく者だけで会社をまわすこと。

世界基準では「異端」の創業者一族のせいで東洋解体かという段になり、返り咲くのが東洋(日本)基準で「異端」の主人公高見だ。
高見は追われるように東洋を辞めた後、アメリカ滞在中に出会った友人の会社に引き抜かれる。
その外資企業が日本への足掛かりのために東洋再建を図る、そのトップに高見が就くのだ。
一族で牛耳り経営悪化の元凶であった取締役会を一掃し、2万人にも及ぶ配置転換とリストラを断行し、そうまでしても高見が残したかったのは、東洋という会社の名前。
古い体質を改め、人事を一新し、能力に相応しいポストで残った者が頑張れば、東洋というブランドはまた世界市場で大手を振るって活躍できると信じて再建案を練る。
高見にとっての大義は、「東洋」という大樹を笠に着て経営悪化を招いた一族の血と古い体質を除きながらも、世界と戦える「東洋」という名を残すこと。

創業者一族の湯下が、新生東洋のトップとして高見を受け入れた時に、告白するセリフは印象的だ。(注、月よりの使者「異端」 3/30)
「バナナもな、外見が黄色で中身が真っ白と言うのは若いうちや。熟せば白い実も黄色に染まる。」
「(高見の日本での)社歴が長くなるにつれて、日本人よりもずっと日本人らしいメンタリティーを持ち合わせるようになった」
「(高見が東洋を去り外資企業に行かなければ)東洋は解体され、この世から消滅していたことやろう。~(経営実権は変わろうとも)東洋の名は残る」

湯下は「経営悪化の元凶が血族だけで会社を牛耳る古い体質にある」と、ある時点から気づいていたが、古い体質と一族の掟を打破し改革することは出来なかった。湯下が耳に痛い忠告をする友人をバナナと蔑まず、真摯に意見を交換し、その排他的な姿勢を改めておれば、解体の一歩手前の事態まで悪化することはなかったかもしれない。
冒頭に書いた「時代に即した正しい判断を下せる資質を持たない経営者が君臨する企業は必ずや滅びる。」とは作中からの引用だ。

家具屋の騒動をきっかけに、「異端の大義」を読み返し、もう一度現実社会を見渡せば、ゆっくりだが着実に世の中は変わってきている。

「勇者よ進め」(3/5)で書いたが、豊田社長自らが米議会の公聴会に呼びつけられた原因の一端ともいわれた排他的姿勢をトヨタは改め、外国人副社長と女性役員を誕生させた。

家具屋のお家騒動では、国立大学卒業後は銀行に勤め更には自ら会社を立ち上げたこともある「かぐや姫」が説くコーポレート・ガバナンス(企業統治)やコンプライアンス(法令順守)が、 「久美子は今も反抗期」(3月22日朝日新聞より)と訴える父に勝利する。
「かぐや姫」をいち早く支持したのは海外投資家であり、最終的に支持したのは一般投資家。

楯突き意見を言う者を異端視したり、外国人だ女性だと異端視していたのでは、21世紀に生き残れない。

伝統や格式のあるもの、古い体質が強いもの、組織が大所帯で変化が行き届きにくいもの、事情はそれぞれ異なるが、時代に即した変化を柔軟に取り入れ変わらなければ、本体そのものを失いかねない。

古くから伝わり守られているものには、理屈抜きで伝え守らなければならないものもある。
しかし、守らなければならない真髄を見誤り、時代から乖離した器に固執しておれば、開けてビックリ玉手箱。
守るべき真髄はもとより、器もろとも霧散霧消してしまいかねない。

変化を促す月からの使者は、何度も足を運んではくれない。


それは皇室も同じだと思う。
現在は御病気のせいで着物の着用が難しく祭祀から離れておられる雅子妃殿下だが、お妃教育の頃、祭祀について英語での資料を所望されてことがバッシングのネタになっている。
しかし、世界がこれだけ緊密化しているなかでの皇室で、宗教が世界の紛争理由となっていることに鑑みれば、外交官だった雅子さんが、祭祀について英語での資料を要求されたのはむしろ当然で、正しく海外に祭祀を伝えるうえで必要なことだったと思われる。
雅子妃殿下の海外親善公務がとかく言われるが、ご成婚までの人生や教育課程の半分の年月を外国で送られている雅子妃殿下は、しかし「根無し草になりたくない、日本の役にたつ仕事がしたい」と願い、高額を提示し就職を求める海外企業に目もくれず、薄給の公務員になられている。
そういったお気持ちや背景も拝察せずに、やみくもに「海外好き」とバッシングしている関係者は、作中で主人公をバナナと蔑んでいるマインドと同レベルだ。その程度の認識で事にあたっている組織や人は、必ずや弱体化する。

幸いなことに、皇太子様は「時代に即した公務」という視点を早くから打ち出しておられる。
皇太子様が正しく「時代に即した方向性」を見極め、守らねばならない真髄を見極められるよう、それが早すぎる時代の流れに間に合うよう、我々は静かにお見守りし、その時には心をつくして応援しなければならないと思っている。