昨日5日、このニュースの第一報を聞いた時、涸沢に常駐してくれている長野県警山岳救助隊の方々のヘリだろうかと胸が痛みニュースを梯子したのだが、今回「アルプス」と名付けられた防災ヘリで事故に遭われたのは長野県の消防隊の方々であり、ケガをした登山者を引き上げる訓練をされている最中のことだったという。
<救助のプロが事故、県「痛恨の極み」…ヘリ墜落> 読売新聞 3/6(月) 7:12配信より一部引用
雪が残る山肌に、上下逆さまにひっくり返った機体が無残な姿をさらしていた。
9人が乗った長野県消防防災ヘリが同県中部の山中に墜落し、3人の死亡が確認された5日の事故。6人の安否は確認されないまま日没を迎え、同日の捜索は終了した。ヘリに乗っていたのは、人命救助に使命感を持つ隊員たち。県危機管理部の担当者は「痛恨の極み」と唇をかんだ。県警や消防は6日朝から捜索を再開する。
今回は訓練中であったが、ヘリを使用しての山岳救助のプロが、救助の最中に還らぬ人となられた例が、過去にはある。
篠原秋彦氏
篠原氏は、民間ヘリを使用し山岳救助に携わる草分け的存在で、多くの報道や出版物で紹介されていた。
篠原氏の活動を記す「空飛ぶ山岳救助隊 ヘリ・レスキューに命を懸ける男 篠原秋彦(おそらく後に’’命を懸けた’’と改題されている)」(羽根田治)を私が読んだのが、初めて涸沢まで登った頃であった為、涸沢で頻繁に耳にするホバリングの音を聞く度、要救助者の無事を祈るとともに、救助にあたって下さる方々へ感謝の気持ちを持っていた。
だから、その篠原氏ご自身が救助の最中に事故に遭われたというニュースの第一報は衝撃的だった。
たしか、「遭難者を救助ネットに収容し、自らも共に乗り込み引き上げられたはずなのに、なぜか篠原氏だけがそのネットから落下してしまわれた」という痛ましい事故だった。
山を歩くのは勿論好きだが山関係の本を読むのも好きなため、山岳救助の本も何冊も読んできたが、そこで知ったのは、救助活動に従事される方々が、(実践の)救助のために如何に危険を伴う膨大な訓練をされているかということだ。
それを知っているせいか、登山道で、黄色とえんじ色の揃いのシャツに身をかためた長野県警山岳救助隊の方々とすれ違うだけで安心感を与えてもらえるし、その気持ちに応えるかのように救助隊の方は、必ず気遣う言葉を一言かけてくださっていた。
そんな長野県警山岳救助隊の方々と共に山岳救助にあたって下さる消防隊の方が、訓練最中に事故に遭われたことに胸が痛んでならない。
最近では、県の山岳救助ヘリを只で使える(救急車か)何かのような利用の仕方をする登山者もいるという。
「税金を払ってやっているのだから、危険でも何でもさっさと救助しろ」と暴言を吐く要救助者その家族もいるという。
山では、どれほど入念に準備していても思いがけない事故に遭ってしまうことはある。
しかし、無謀な登山のせいで多くの人に迷惑をかけるだけでなく、多くの人の命まで危険にさらすことを今一度胸に刻まなければならない。
「夏雷」(大倉崇裕)には、ずぶの素人を槍ケ岳に登らせるための訓練メニューを組む場面がある。
それほど大層な訓練をせぬまま、比較的容易に槍ケ岳の山頂に立ってしまった経験をもつ’’ずぶの素人’’の私は、「夏雷」は多少オーバーではないかと思っていたが、一つの救助要請のために、どれほど多くの訓練がなされ、どれほど多くの犠牲が払われているかを肝に銘じなければならないと、今強く強く感じている。
仲間を救助しなければならない救助隊員の悲しみ遣る瀬無さは、如何ばかりだろう。
信州で山岳救助に従事される方々に心から感謝し、心をこめて応援している。
山岳救助に従事される方々に心から感謝し、心をこめて応援している。
<救助のプロが事故、県「痛恨の極み」…ヘリ墜落> 読売新聞 3/6(月) 7:12配信より一部引用
雪が残る山肌に、上下逆さまにひっくり返った機体が無残な姿をさらしていた。
9人が乗った長野県消防防災ヘリが同県中部の山中に墜落し、3人の死亡が確認された5日の事故。6人の安否は確認されないまま日没を迎え、同日の捜索は終了した。ヘリに乗っていたのは、人命救助に使命感を持つ隊員たち。県危機管理部の担当者は「痛恨の極み」と唇をかんだ。県警や消防は6日朝から捜索を再開する。
今回は訓練中であったが、ヘリを使用しての山岳救助のプロが、救助の最中に還らぬ人となられた例が、過去にはある。
篠原秋彦氏
篠原氏は、民間ヘリを使用し山岳救助に携わる草分け的存在で、多くの報道や出版物で紹介されていた。
篠原氏の活動を記す「空飛ぶ山岳救助隊 ヘリ・レスキューに命を懸ける男 篠原秋彦(おそらく後に’’命を懸けた’’と改題されている)」(羽根田治)を私が読んだのが、初めて涸沢まで登った頃であった為、涸沢で頻繁に耳にするホバリングの音を聞く度、要救助者の無事を祈るとともに、救助にあたって下さる方々へ感謝の気持ちを持っていた。
だから、その篠原氏ご自身が救助の最中に事故に遭われたというニュースの第一報は衝撃的だった。
たしか、「遭難者を救助ネットに収容し、自らも共に乗り込み引き上げられたはずなのに、なぜか篠原氏だけがそのネットから落下してしまわれた」という痛ましい事故だった。
山を歩くのは勿論好きだが山関係の本を読むのも好きなため、山岳救助の本も何冊も読んできたが、そこで知ったのは、救助活動に従事される方々が、(実践の)救助のために如何に危険を伴う膨大な訓練をされているかということだ。
それを知っているせいか、登山道で、黄色とえんじ色の揃いのシャツに身をかためた長野県警山岳救助隊の方々とすれ違うだけで安心感を与えてもらえるし、その気持ちに応えるかのように救助隊の方は、必ず気遣う言葉を一言かけてくださっていた。
そんな長野県警山岳救助隊の方々と共に山岳救助にあたって下さる消防隊の方が、訓練最中に事故に遭われたことに胸が痛んでならない。
最近では、県の山岳救助ヘリを只で使える(救急車か)何かのような利用の仕方をする登山者もいるという。
「税金を払ってやっているのだから、危険でも何でもさっさと救助しろ」と暴言を吐く要救助者その家族もいるという。
山では、どれほど入念に準備していても思いがけない事故に遭ってしまうことはある。
しかし、無謀な登山のせいで多くの人に迷惑をかけるだけでなく、多くの人の命まで危険にさらすことを今一度胸に刻まなければならない。
「夏雷」(大倉崇裕)には、ずぶの素人を槍ケ岳に登らせるための訓練メニューを組む場面がある。
それほど大層な訓練をせぬまま、比較的容易に槍ケ岳の山頂に立ってしまった経験をもつ’’ずぶの素人’’の私は、「夏雷」は多少オーバーではないかと思っていたが、一つの救助要請のために、どれほど多くの訓練がなされ、どれほど多くの犠牲が払われているかを肝に銘じなければならないと、今強く強く感じている。
仲間を救助しなければならない救助隊員の悲しみ遣る瀬無さは、如何ばかりだろう。
信州で山岳救助に従事される方々に心から感謝し、心をこめて応援している。
山岳救助に従事される方々に心から感謝し、心をこめて応援している。