何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ずぶの素人改めダメな素人

2017-03-07 23:55:55 | 自然
「ずぶずぶの素人 その壱」より

「夏雷」(大倉崇裕)の帯の「ずぶの素人を北アルプスの峻峰に登らせる」というフレーズに激しく反応し、’’ずぶの素人’’とは如何程の体力か?、’’ずぶの素人’’が槍ケ岳の頂上にたつには如何程の訓練が必要か?などという事ばかりに気をとられながら読んだが、山岳救助に携わる方々などの支えあっての登山だと再認識した今は、’’ずぶの素人’’であると強く自覚したうえで夏山へ向け何か訓練をしなければならないと思っている。

それを私に反省させてくれる山行が、本書の主人公たちが目指す槍ケ岳かもしれない。

私自身は槍ケ岳の頂上に比較的容易に登ってしまったので、私の中では難しい山ではなかったのだが(一番恐ろしかったのは北穂高)、一番やってはいけない事をしてしまったのは、槍登山だったのかもしれない。

山滞在中天気が崩れる心配はなく、体調も良かった私達は快調に飛ばしていたのだが、そろそろ雪渓が見え始めるというところで、山Pが「気分が悪い」と言い始めた。

もともと私が(短期決戦型とでも云うのだろうか)高所や急勾配に強いのに対し、山Pは緩い傾斜を長時間歩くことを得意とするため、森林限界を超えるといつも私が先頭を歩くことにしているのだが、この時ばかりは、スピードを緩めても小休憩を度々とっても山Pが回復することはなく、しばらくすると「頭が痛い」「眠い」と言いだした。

即座に「降りよう」と促したが、抜けるような晴天が二日続くことが確約されている空を見ながら言う その言葉は虚ろな響きを持っていたかもしれない。
何より山P自身、ようやく雄姿を見せた槍に登りたかったのだろう、「大休憩をとれば絶対に復活するから待って欲しい」と言い張った。


顔色もなく全身に倦怠感を漂わせている山Pと その横でぼんやりしている私の横を、多くの登山者が「こんにちは」の声とともに気遣う表情で通り過ぎたが、それ以上に問いかけてくる人もいなかった。おそらく、私達の状態と気持ちを十分察してのことだったのだと思うのだが、ただ一人イギリス人の男性は、違っていた。
このイギリス人とは、それまで特に何かを話すでもなく、抜きつ抜かれつ歩いていたのだが、山Pがへばり座り込むと、イギリス人は矢庭にザックから本を取り出しゆったりと読み始め、山Pが重い腰をあげ歩き始めると、私達の後ろを確かな足取りで登り始めた。
イギリス人の気遣いを感じながら歩いているうちに、山Pも少し高度の慣れてきたのか、歩みにリズムが戻ってきた。
だが、槍ケ岳は、その雄姿が見えてからが、長い。
歩いても歩いても、一向に距離が縮まらない感じは、心身共に疲労を増加させる。

山Pの常にはない疲労に、私は目標を槍ヶ岳直下の山荘に変えることを告げ、山Pも這う這うの体で小屋に到着したはずだったが、小屋で大盛りカレーを平らげると、「ここまで来たのだから絶対に登る」と言い張る。
ひと悶着も ふた悶着もしたが、ここまで楽に辿り着いた私としても、↓こんな景色を見ては諦めきれず、結局 頂上を目指すことにした。


アルペン踊りを見たか否かは・・・つづく

槍ケ岳登頂の4年前、蝶が岳(蝶槍?)から槍ケ岳を望む