何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

祝号外 敬宮様ご卒業

2017-03-22 12:42:45 | ひとりごと
今日22日、敬宮様は学習院女子中等科を御卒業された。

一頃、心ないマスコミに命にもかかわる酷いバッシングを受けられたが、頬には少し膨らみも戻り、その頬は充実した中学生活を物語るかのように、桜色に輝いておられた。



中等科ご卒業 おめでとうございます


さて、御卒業にあたり宮内庁が公表した敬宮様の作文に心打たれていると同時に、この作文に個人的に奇跡のようなタイミングを感じ感動している。
というのも、一昨日のブログにも旅行に出かけていると書いたが、その旅行先が、敬宮様が作文に書いておられた広島原爆ドームと平和記念資料館だったからだ。
この旅行は、突然決まったものだった。
私事だが、以前から緑内障の治療を受けている目の調子が思わしくない御大が、もしもの時に後悔がないよう訪問しておきたい場所としてあげた幾つかの場所のうちの一つが、原爆ドームと平和記念資料館だった。
御大以外の家族は、学校行事や旅行で原爆ドームと平和記念資料館を訪れていたのだが、今回は家族総出で「先の戦いで亡くなった全ての御魂に祈りを捧げ、これからの平和を祈るために」と広島を訪れたばかりだったので、このタイミングで敬宮様と祈りを共有できたことに、かってに心から感動しているのだ。

敬宮様が心打たれた原爆ドームの写真などは、おいおいブログに掲載していこうと思うが、今は敬宮様の素晴らしい作文を掲載させて頂きたいと思っている。


世界の平和を願って 敬宮 愛子
 卒業をひかえた冬の朝、急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。雲一つない澄み渡った空がそこにあった。家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう。なんて平和なのだろう。青い空を見て、そんなことを心の中でつぶやいた。このように私の意識が大きく変わったのは、中三の五月に修学旅行で広島を訪れてからである。

 原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた。ドーム型の鉄骨と外壁の一部だけが今も残っている原爆ドーム。写真で見たことはあったが、ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた。平和記念資料館には、焼け焦げた姿で亡くなっている子供が抱えていたお弁当箱、熱線や放射能による人体への被害、後遺症など様々な展示があった。これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った。平常心で見ることはできなかった。そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた。命が助かっても、家族を失い、支えてくれる人も失い、生きていく希望も失い、人々はどのような気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。私には想像もつかなかった。

 最初に七十一年前の八月六日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない。これは、本当に原爆が落ちた場所を実際に見なければ感じることのできない貴重な体験であった。

 その二週間後、アメリカのオバマ大統領も広島を訪問され、「共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」と説いた。オバマ大統領は、自らの手で折った二羽の折り鶴に、その思いを込めて、平和記念資料館にそっと置いていかれたそうだ。私たちも皆で折ってつなげた千羽鶴を手向けた。私たちの千羽鶴の他、この地を訪れた多くの人々が捧げた千羽鶴、世界中から届けられた千羽鶴、沢山の折り鶴を見たときに、皆の思いは一つであることに改めて気づかされた。

 平和記念公園の中で、ずっと燃え続けている「平和の灯」。これには、核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けようという願いが込められている。この灯は、平和のシンボルとして様々な行事で採火されている。原爆死没者慰霊碑の前に立ったとき、平和の灯の向こうに原爆ドームが見えた。間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って、皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ、原爆ドームが守られているように思われた。「平和とは何か」ということを考える原点がここにあった。

 平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない。今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいのだろうか。

 何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。

 そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。

 「平和」についてさらに考えを深めたいときには、また広島を訪れたい。きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう。そして、いつか、そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の「平和の灯」の灯が消されることを心から願っている。