先週の土曜日は3月11日だった。
あれから、まだ6年しか経っていないというのに、はや風化の感があり、11日当日だけ特番が組まれていることに違和感をもっていたのだが、何かで「3月11日は、誰かにとっては誕生日で、また違う誰かにとっては結婚記念日だったりもする」と読み、前を向いていかなければならない月日がたったのだとも思う時、そのような微妙な月日について少し考えさせられる本を読んだ。
「碧空のカノン 航空自衛隊航空中央音楽隊ノート」(福田和代)
本書の帯より
音大卒業後、航空自衛隊の音楽隊に入隊した鳴瀬佳音は、定期演奏会などの任務に向けて練習に励んでいる。自衛隊という未知の世界に戸惑いつつも鍛えられていく。ある日、「ふれあいコンサート」で使う楽譜を用意したところ、佳音が担当するアルトサックスのパートの楽譜が楽譜庫から紛失していた。いったい、どこに消えたのか?ちょっとドジな佳音が呼び込む不思議な“事件”を、仲間たちとともに解決する!テロや大停電などをテーマにしたクライシス・ノベルで注目を集める著者が、軽やかな音楽ミステリに挑む意欲作。
自衛隊音楽隊の団員が取り組む音楽ミステリという設定らしいが、本書の’’事件’’の質から考えれば、舞台は自衛隊でなくとも、警察音楽隊でも民間企業でも部活動でも良いと思われるので、それらしい雰囲気といえるのは、「11:50」をヒトヒトゴウマルと読むせるところだけかもしれない。
本書は謎の質も軽やかならば、解決方法も語りも軽やかいう、大変読みやすいものなのだが、そんな中で、微妙な月日の経過を考えさせられたのは、イラクで行方不明となった戦場カメラマンから届いた最後のハガキの意味を知りたいと願う受取人の話だ。
芸大時代に一人の女性(現在は佳音の先輩でフルート奏者)を争った二人の男性のうち、振られた人は、戦場カメラマンとなりイラクに渡り行方不明となってしまう。
行方不明の知らせと前後し、イラクから元ライバルに届けられた最後の絵葉書には、一言のメッセージも記されていなかった。
恋人となっていた二人は、彼を戦地イラクに向かわせてしまったのは自分達かもしれないと悩んだ末に分かれてしまう。
だが、8年経ち再度その葉書の無言のメッセージが気になり始めたのは、失踪者の両親がいよいよ失踪宣告の手続きをとると知ったからだ。
不在者の生死が一定期間分明ならざる場合、利害関係者の請求により失踪の宣告をする(死亡したものとみなす)という失踪宣告には、普通失踪(7年不明)と特別失踪(1年不明)があり、戦争の場合は紛争が止んでから一年分明ならざることを要件とする。
イラク戦争は、終結宣言が二転三転し、当初の大規模戦闘終結宣言から7年後の2010年に「戦闘終結宣言」が、その一年後にイラク戦争の終結宣言が出されているので、どの時点を「紛争の止みたる後」とするかは判断が難しいのかもしれないが、イラクで行方不明となった息子の失踪手続きをするのに8年の月日を要した両親の胸のうちを思うとき、今なお行方不明の家族や友人の安否に心を痛める被災者の方々の6年が重なったのだ。
普通失踪の7年が、何をもって7年と規定されているのかは分からないが、あの日から6年が過ぎ7年目に向かう一歩を踏み出したのだとしたら、被災地と被災者の方々へは追悼は勿論だが、今こそ力強い応援が必要なのだと感じた3月11日であった。
そして、そんな気持ちを込めて3月11日には修二会(お水取り)に参じたのだが、これが何とも微妙なお参りとなり、その後遺症で今のたうち苦しんでいる。
境内に入ることができないほど大勢の人で賑わうことで有名なお松明。
これまで一度しか参ったことはないのだが、その時は小雨が降っていてせいか思いの外すいており、かなり良い場所から迫力あるお松明を拝むことが出来たのだ。その記憶に従い、開始時刻(pm7)の30分前に二月堂に向かおうとすると、数メートル間隔に立つ警備員が、「あちらへ、あちらへ」とあらぬ方へと誘導してきた。これでは、二月堂から遠く離れてしまうのではないかと不信に思い訊ねると、「本日は境内は一万人以上の人で満員で入りきれないので、第二拝観場所へご案内してます」と返って来た。
果たして誘導された先は・・・・・
二月堂から遠く離れ、道路をはさんだ所にある空き地で、お松明などマッチの先の灯りくらいでしかないが、それにも拘らず ここも外国人も含め多くの人だかりができていた。
前回拝した、思わず涙が零れそうになるほどの幽玄とも神秘とも云える お松明を、今回目にすることは出来なかったが、被災地への追悼と応援の気持ちと、自分自身の日頃の反省の気持ちを込め、見守った夜空の上には真ん丸のお月様が煌々と輝いていた。
ここで終われば未だしも救われるのだが、日本三大(人口)美林の吉野杉を擁する地の戸外で、一時間以上立っていたせいだろうか、週明け14日(火曜日)から遂にアイツが襲ってきた。
思えば一昨年あたりから、信じまいと思いつつ、騙し騙し遣り過ごしてきたのだが、もはやアイツの手に堕ちてしまった。
アイツが去るまで、あ~あ~この身は私じゃない、と言い続ける日々になると確信しているので、ブログの更新はかなり不定期になるかもしれない。
追記
「青空のカノン」には、個人的に少し気になった事が一つある。
主人公佳音がアルトサックスの練習において、マウスピースのみでの練習を重視しているように読めるのだが、吹奏楽でクラリネットを少しだけかじった時の経験では、金管は兎も角として木管の練習でマウスピースを説く先生はおられなかった。
スポーツでは、それまで正しいとされる練習方法が後に大きく変わることがあるが、木管楽器のマウスピース練習もその類なのか、それとも私達が間違っていたのか?どうでもいいですよ♪のフレーズとともに考えている。
あれから、まだ6年しか経っていないというのに、はや風化の感があり、11日当日だけ特番が組まれていることに違和感をもっていたのだが、何かで「3月11日は、誰かにとっては誕生日で、また違う誰かにとっては結婚記念日だったりもする」と読み、前を向いていかなければならない月日がたったのだとも思う時、そのような微妙な月日について少し考えさせられる本を読んだ。
「碧空のカノン 航空自衛隊航空中央音楽隊ノート」(福田和代)
本書の帯より
音大卒業後、航空自衛隊の音楽隊に入隊した鳴瀬佳音は、定期演奏会などの任務に向けて練習に励んでいる。自衛隊という未知の世界に戸惑いつつも鍛えられていく。ある日、「ふれあいコンサート」で使う楽譜を用意したところ、佳音が担当するアルトサックスのパートの楽譜が楽譜庫から紛失していた。いったい、どこに消えたのか?ちょっとドジな佳音が呼び込む不思議な“事件”を、仲間たちとともに解決する!テロや大停電などをテーマにしたクライシス・ノベルで注目を集める著者が、軽やかな音楽ミステリに挑む意欲作。
自衛隊音楽隊の団員が取り組む音楽ミステリという設定らしいが、本書の’’事件’’の質から考えれば、舞台は自衛隊でなくとも、警察音楽隊でも民間企業でも部活動でも良いと思われるので、それらしい雰囲気といえるのは、「11:50」をヒトヒトゴウマルと読むせるところだけかもしれない。
本書は謎の質も軽やかならば、解決方法も語りも軽やかいう、大変読みやすいものなのだが、そんな中で、微妙な月日の経過を考えさせられたのは、イラクで行方不明となった戦場カメラマンから届いた最後のハガキの意味を知りたいと願う受取人の話だ。
芸大時代に一人の女性(現在は佳音の先輩でフルート奏者)を争った二人の男性のうち、振られた人は、戦場カメラマンとなりイラクに渡り行方不明となってしまう。
行方不明の知らせと前後し、イラクから元ライバルに届けられた最後の絵葉書には、一言のメッセージも記されていなかった。
恋人となっていた二人は、彼を戦地イラクに向かわせてしまったのは自分達かもしれないと悩んだ末に分かれてしまう。
だが、8年経ち再度その葉書の無言のメッセージが気になり始めたのは、失踪者の両親がいよいよ失踪宣告の手続きをとると知ったからだ。
不在者の生死が一定期間分明ならざる場合、利害関係者の請求により失踪の宣告をする(死亡したものとみなす)という失踪宣告には、普通失踪(7年不明)と特別失踪(1年不明)があり、戦争の場合は紛争が止んでから一年分明ならざることを要件とする。
イラク戦争は、終結宣言が二転三転し、当初の大規模戦闘終結宣言から7年後の2010年に「戦闘終結宣言」が、その一年後にイラク戦争の終結宣言が出されているので、どの時点を「紛争の止みたる後」とするかは判断が難しいのかもしれないが、イラクで行方不明となった息子の失踪手続きをするのに8年の月日を要した両親の胸のうちを思うとき、今なお行方不明の家族や友人の安否に心を痛める被災者の方々の6年が重なったのだ。
普通失踪の7年が、何をもって7年と規定されているのかは分からないが、あの日から6年が過ぎ7年目に向かう一歩を踏み出したのだとしたら、被災地と被災者の方々へは追悼は勿論だが、今こそ力強い応援が必要なのだと感じた3月11日であった。
そして、そんな気持ちを込めて3月11日には修二会(お水取り)に参じたのだが、これが何とも微妙なお参りとなり、その後遺症で今のたうち苦しんでいる。
境内に入ることができないほど大勢の人で賑わうことで有名なお松明。
これまで一度しか参ったことはないのだが、その時は小雨が降っていてせいか思いの外すいており、かなり良い場所から迫力あるお松明を拝むことが出来たのだ。その記憶に従い、開始時刻(pm7)の30分前に二月堂に向かおうとすると、数メートル間隔に立つ警備員が、「あちらへ、あちらへ」とあらぬ方へと誘導してきた。これでは、二月堂から遠く離れてしまうのではないかと不信に思い訊ねると、「本日は境内は一万人以上の人で満員で入りきれないので、第二拝観場所へご案内してます」と返って来た。
果たして誘導された先は・・・・・
二月堂から遠く離れ、道路をはさんだ所にある空き地で、お松明などマッチの先の灯りくらいでしかないが、それにも拘らず ここも外国人も含め多くの人だかりができていた。
前回拝した、思わず涙が零れそうになるほどの幽玄とも神秘とも云える お松明を、今回目にすることは出来なかったが、被災地への追悼と応援の気持ちと、自分自身の日頃の反省の気持ちを込め、見守った夜空の上には真ん丸のお月様が煌々と輝いていた。
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ここで終われば未だしも救われるのだが、日本三大(人口)美林の吉野杉を擁する地の戸外で、一時間以上立っていたせいだろうか、週明け14日(火曜日)から遂にアイツが襲ってきた。
思えば一昨年あたりから、信じまいと思いつつ、騙し騙し遣り過ごしてきたのだが、もはやアイツの手に堕ちてしまった。
アイツが去るまで、あ~あ~この身は私じゃない、と言い続ける日々になると確信しているので、ブログの更新はかなり不定期になるかもしれない。
追記
「青空のカノン」には、個人的に少し気になった事が一つある。
主人公佳音がアルトサックスの練習において、マウスピースのみでの練習を重視しているように読めるのだが、吹奏楽でクラリネットを少しだけかじった時の経験では、金管は兎も角として木管の練習でマウスピースを説く先生はおられなかった。
スポーツでは、それまで正しいとされる練習方法が後に大きく変わることがあるが、木管楽器のマウスピース練習もその類なのか、それとも私達が間違っていたのか?どうでもいいですよ♪のフレーズとともに考えている。