何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

敬宮様の青い空 15の心

2017-03-24 12:55:15 | ひとりごと
「祝号外 敬宮様ご卒業」より

広島原爆ドームと平和祈念資料館を訪問したばかりのタイミングで、敬宮様の卒業文集の「世界の平和を願って」を拝読したこともあり、敬宮様が空を見上げて平和に思いを致されたことに感動していたが、敬宮様が空を見上げたとされる時期に思いを巡らせると、胸がつぶれるような痛みを感じる。

敬宮様は、卒業を控えた時期に校門をくぐったところで、空を見上げたと書かれている。
まだ15歳にもかかわらず、これまで ありとあらゆるバッシングと誹謗中傷に遭われた敬宮様だが、この時期のバッシングは特に酷く、通学途中の御姿を盗撮した写真に、命の危機を弄ぶかのような大見出しを付けるという許しがたいものであった。

そのような醜い大人の所業を掻い潜り、校門に入られ、ふと見上げた空に、平和を感じた敬宮様。
家族がいて、学校には友達がいる、なんて平和で幸せなんだろうと感じた敬宮様。
そして、そのような平和な青い空は当たり前なことではないのだと考える、敬宮様。

マスコミ報道のほんの一端を目にするだけでも怒り心頭に発するようなバッシングのなか、ご自身は、青い空に平和への思いを致しておられたという事に驚き感動していたのだが、ふと敬宮様と同じ15歳の少女の文を思いだし、空を見上げるしかなかった淋しさに・・・心が痛んだ。

This morning when I was sitting in front of the window and taking a long ,deep look outside at god and nature.
I was happy , just plain happy.
Peter, as long as people feel that kind of happiness within themselves, the joy of nature,health and much more besides, they'll always be to recapture that happiness.
Riches, prestige, everything can be lost. but the happiness in your own heart can only be dimmed: it will always be there, as long as you live, to make you happy again.
Whenever you're feeling lonely or sad, try going to the loft on a beautiful day and looking outside. not at the houses and the rooftops,but at the sky.
As long as you can look fearlessly at the sky, you'll know that you're pure within and will find happiness once more.

そう、これは15歳のアンネ・フランクが隠れ家で書いた日記の一部だ。

ただユダヤ人だというだけの理由で何百万人もの人が虐殺されていくなか、二年にわたり身を隠していた隠れ家で、書かれたものだ。

隠れ家の存在が発覚し連行される、ほぼ半年前の1944年2月23日、アンネは上記の文を一つの思索として、その日の日記の末尾に記している。

『今朝、私は窓の前に座り、神と自然を見つめながら、長いあいだじっくり外を眺めているとき、私は幸せでした、ただ本当に幸せでした。
人は、自分自身の中にそのような幸福を-自然や健康やその他の多くのものに-喜びを感じている限り、いつでも、その幸せを取り戻すことが出来るでしょう。
富や名誉も、どんなものでも失われることがありますが、自分の心の内の幸福は、見えなくなっても、いつもそこにあるのです、あなたが生きている限り、あなたを幸せにするために。
孤独な時や淋しい時にはいつでも、天気の良い日には屋根裏部屋に行き、外を眺めて下さい、家や屋根を見るのではなく、空を眺めるのです。あなたが怖れることなく空を見ることができる限り、あなたは自分の内なる純粋さを自覚し、もう一度幸福を見出すでしょう。』

物音ひとつ立てることすら、咳をすることすら憚れる隠れ家の生活で、屋根裏部屋の窓から仰ぎ見る空に、幸福と希望を見出そうとした15歳の少女・アンネ。

通学途中の姿を隠し撮りした写真とともに「命の危険も!」と面白おかしく書きたてる雑誌記事が、発売当日にはネット配信されるという異常な事態のなかで、敬宮様ご自身は、青い空を見上げて平和について考えておられたことに、文集を一読した時には心打たれたが、一たび同じ15歳の少女の思索を思い出すと、空を見上げるしかなかった状況に気付かされ、心が痛んでならない。

そして、そのような過酷な状況にあってなお、感謝の気持ちを記しておられる健気さと優しさを再認識した時、敬宮様の作文に、いっそう感動したのだ。

東宮にただお一人誕生されたのが、お姫様であった。
ただそれだけで、これだけの仕打ちに遭ってこられたお姫様の未来が、明るいことを願わずにはいられない。
日本の一の姫が、御自分らしくあることを認められる世の中がくることが、日本を明るくすると信じるから。

こう書いたからと云え、15の心が誰もかれも絶望のなか空を見上げるとは限らないし、仮に絶望の淵にあっても、空に希望や平和を見出すことができるのは、一番純粋なものを宿している15歳という年齢だからこそかもしれない。

今日24日、甲子園でプレーする来方高校の校名から思い出される歌には、空を見上げる15の心がのびやかに詠われている。

不来方のお城の草に寝ころびて 空にすわれし 十五の心    石川啄木

敬宮様の15の空から、最近読んだ本のことも思い出している。
そのあたりについては又つづく