ほんの二日ばかり前の「ずぶの素人と玄人の境界、その先へ」の末尾に、「’’ナマスル遠征隊’’で思い出したことについては、つづく」と書いているようだが、そのようなことを私が書いたはずがない、誰かが’’代理’’で書いたのではないかと’’推測’’しているが、とにかく「ナマスル遠征隊、つづく」と書いた記憶がない。
それとも、二日ばかり体調を崩して寝ているうちに記憶から抜け落ちてしまったのだろうか、ともかく書いた’’記憶がございません’’。
だが、こう書いたからと云え、私が嘘偽りを述べていると(法的に)責められる必要は、ない。
偽りを述べる罪の構成要件とは、客観的真実に反することを述べたか云々ではなく(でんでん、でもなく)、自らの記憶に反することを述べたか否かであるので、客観的真実として「ナマスル遠征隊、つづく」と書いていたとしても、現実点での自らの記憶に従い「そのような事実はない、という私の’’記憶’’に従った私の言葉に問題はない」と言い張れば、法的責任という点に限れば免れうる、はずだ。
世の中は、そんな理屈で回っている。
それは、井上靖氏が「氷壁」で「登山は単なるスポーツではない」と書いた、純粋な精神に満ちているはずの山の世界でも、同様のようだ。(『 』「氷壁」より)
『登山は単なるスポーツではありませんよ』
『スポーツ、プラス、アルファです』
『(アルファとは)フェアプレーの精神の非常に純粋なものとでも言いましょうか。山頂を極めたか極めないかは誰も見ていないんです』
「氷壁」出版から60年、お山の世界にまで嘘偽りは充満し、最近では名誉や金銭を得る為に登頂の事実を偽る登山家もいるそうだ。「紛いものが目指す捏造の天辺」
てっぺんを目指すために、金と名誉が必要なのか、金と名誉のためにてっぺんを目指すのか。
俗世界も山も・・・汚れちまった悲しみに名残の雪の降りかかる、と嘆いていても始まらないので、「夏草冬濤」(井上靖)の木部の歌で心を洗い清め、次なる山の計画を立てようと思っている。
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蝶が岳からモルゲンロートに染まる槍ケ岳を望むれば↑のような光景だが、その槍から昇る朝日を拝めば↓のような光景だ。
本来 山は、一つその頂上に立てば、そこから広がる更に美しい世界に心惹かれ、より高みを目指そうとするものではなかったか。
人も本来は、一つ階段を登れば、そこから更に精進し、より立派な人となるよう目指すものではなかったか。
自分のことを棚に上げ、世の中を憂いていても仕方がないので、槍ヶ岳から望む常念岳と富士山を拝みながら、ひとまず一連の山反省記を終えようと思っている。
追記
正直なことろ、「ナマスル遠征記つづく」と書いた記憶はあるが、ナマスル遠征記について書かれている本をどこに置いたのか記憶にございません。
それとも、二日ばかり体調を崩して寝ているうちに記憶から抜け落ちてしまったのだろうか、ともかく書いた’’記憶がございません’’。
だが、こう書いたからと云え、私が嘘偽りを述べていると(法的に)責められる必要は、ない。
偽りを述べる罪の構成要件とは、客観的真実に反することを述べたか云々ではなく(でんでん、でもなく)、自らの記憶に反することを述べたか否かであるので、客観的真実として「ナマスル遠征隊、つづく」と書いていたとしても、現実点での自らの記憶に従い「そのような事実はない、という私の’’記憶’’に従った私の言葉に問題はない」と言い張れば、法的責任という点に限れば免れうる、はずだ。
世の中は、そんな理屈で回っている。
それは、井上靖氏が「氷壁」で「登山は単なるスポーツではない」と書いた、純粋な精神に満ちているはずの山の世界でも、同様のようだ。(『 』「氷壁」より)
『登山は単なるスポーツではありませんよ』
『スポーツ、プラス、アルファです』
『(アルファとは)フェアプレーの精神の非常に純粋なものとでも言いましょうか。山頂を極めたか極めないかは誰も見ていないんです』
「氷壁」出版から60年、お山の世界にまで嘘偽りは充満し、最近では名誉や金銭を得る為に登頂の事実を偽る登山家もいるそうだ。「紛いものが目指す捏造の天辺」
てっぺんを目指すために、金と名誉が必要なのか、金と名誉のためにてっぺんを目指すのか。
俗世界も山も・・・汚れちまった悲しみに名残の雪の降りかかる、と嘆いていても始まらないので、「夏草冬濤」(井上靖)の木部の歌で心を洗い清め、次なる山の計画を立てようと思っている。
いざ行かむ 行きてまだ見ぬ山を見む 眼に甘き山は青空にあり
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蝶が岳からモルゲンロートに染まる槍ケ岳を望むれば↑のような光景だが、その槍から昇る朝日を拝めば↓のような光景だ。
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本来 山は、一つその頂上に立てば、そこから広がる更に美しい世界に心惹かれ、より高みを目指そうとするものではなかったか。
人も本来は、一つ階段を登れば、そこから更に精進し、より立派な人となるよう目指すものではなかったか。
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追記
正直なことろ、「ナマスル遠征記つづく」と書いた記憶はあるが、ナマスル遠征記について書かれている本をどこに置いたのか記憶にございません。