「犬星飛行」より
ワンコと一心同体組で出掛けた今回の旅行、
学ぶところも気付いたところも多く充実していたけど、なかなか大変だったね ワンコ
それについては又いずれ書こうと思うのだけど、まずはワンコが教えてくれた本について書いておくよ ワンコ
「オライオン飛行」(高樹のぶ子)
高樹氏というと恋愛小説の妙手として有名だが、その手の本に関心を持ち合せていない私は、高樹氏の作品を読んだことがなかった。
本書も、九州帝大附属病院の看護婦・久美子と、日本に墜落して重傷を負ったフランス人飛行士アンドレ・ジャピーの出会いから別れまでの謎を、久美子と血縁関係にある(久美子の弟の孫)あやめが追うという意味においては恋愛物語なのだが、この時代にフランス政府が頻繁に懸賞飛行を実施していた理由や、在日本フランス大使館のジャピ―への対応を注意深く読むと、まったく異なる側面が見えてくる。
そして、その異なる二つの側面は、星を語る言葉にも如実に現れている。
1936年アンドレはパリから東京へと飛び立ったが、それはパリー東京間を100時間以内に飛んだ者に30万フラン出すというフランス政府の懸賞へのチャレンジだった。
懸賞飛行の常連であり その成功により英雄視されていたアンドレに対抗心を燃やす飛行機乗りは多くいたそうだが、その一人にサン・テグジュペリも含まれていた。
「星の王子様」(サン・テグジュペリ)は砂漠に墜落して、何日も命からがら砂漠を歩き回った体験から生まれた物語だが、墜落に終わるサン・テグジュペリの飛行は、アンドレの記録に対抗してのものだったという。
同時代には1927年、ニューヨーク―パリ間を飛んだリンドバークもいるように、この時代に懸賞飛行や飛行機レースが盛んだったのは、空路開拓や技術向上という目的もあったが、国威発揚ひいては世界大戦が忍び寄っていた影響によるところが大きい。
そのような時代を潜り抜け、第二次世界大戦後も飛行機に乗り続けたアンドレは、娘に宛てた絵葉書に、こう記している。(『 』「オライオン飛行」より)
『夜の飛行は(絵葉書の)この写真のように明るくないよ・・・・・地球の半分は夜なのだから・・・・・私は仕方なく星を目印にするが、それらは星では無く、ときに星に姿を変えた神や悪魔になる・・・・・目印にしても良いけれど信じてはならない・・・・・すぐに姿を消すし、誤った方向に人間を導くこともあるからね・・・・・本物の飛行家は自分以外のすべてを疑う・・・・・絶対的なものなど無いということを夜の闇が教えてくれるから・・・・・空を飛べば身に染みて解ることだよ』
娘宛ての絵葉書の写真は1960年ムルロア環礁を撮ったものだが、それはフランスが南太平洋で200回もの核実験をすると決定する数年前のことであり、そこをアンドレが何度となく飛行していたことを頭に入れて、再度アンドレの言葉を読むと、アンドレが何を星に例えていたかは明白だ。
一方、血縁者の恋物語を追う あやめと、あやめの謎解きに協力する初老の男性・一良を通して描かれる星は、まったく趣を異にする。
『月やオライオンの七つの星を、天空の平面に置いて眺めるしかないのが人間の限界である。地球からほんの少し離れてこれらを見れば、いずれも恐ろしく無縁な星同士、宇宙の塵があちことに離れて存在しているだけのことで、それでも人間がなにがしかの物語を紡ぐのを良しとするなら、物語が必要とされるなら、ギリシャ神話の勇士オライオンの右肩から斜めに切り進む
半欠けの月に心を深々と波立たせ、それを言い表すだけの言葉こそ持たない未熟な人間同士であはあるけれど、これまで味わったことがない新鮮な啓示のようなもの、あるいは自らの生命の根本を貫くもの、それらを仮想の勇士オライオンと呼応させ、祈りとまでは言えないけれど、祈りによく似た清浄な感情に震える人間を、描くしかないのだ』
上記には、久美子とアンドレの恋愛だけでなく、あやめと一良の話が重ねられていることは分かるのだが、このような複雑怪奇な情緒的な表現は、どうにも苦手だ。
私のような単細胞には、以下の文くらい単純明白に書いてもらわなければ、意図するところが通じない。
『人間は必死に生きている限り、より良い方向へ飛翔する。より良い場所に着地する。
なぜならオライオンが味方してくれるから。オライオンが、彼らの溜め息に耳を傾けてくれるから。
本当かと問うことなかれ。本当なのだ』
ワンコ、同じ星を語っても、アンドレと あやめでは、全く違っているだろう?
「オライオンが味方してくれるから、必死に生きている限り、良い方向へ飛翔し着地できる」と純粋に信じることと、
「神や悪魔は星に姿を変え、誤った方向へ人間を導くことがあるから、それを目印にしても良いけれど信じてはならない」と疑うことと、
きっと両方が、大切なのだろうね ワンコ
私達が祈り憧れるのが本物の星であれば、良い方向へ導いてくれるのは、アンドレも否定しないと思うけれど、
私達は、祈り憧れる対象を間違えることが多く、そのせいで何度も人類は手痛い失敗を繰り返しているからね
絶対的なものを見極めることが出来ない自分を認識したうえで、絶対的なものがあると信じて、より良い方向に進んでいく努力を自らしないといけないね ワンコ
旅行の疲れで、何を書いているのか分からなくなってきたよ ワンコ
だってさ、ワンコ
犬星を見上げると、ワンコが笑い上戸の星になって、私達を守ってくれていると感じることができるから
それは絶対的なことだから、これ以上捻くり回して考えても仕方がないね ワンコ
でさ、絶対的なワンコから本書を通じて届いた一番のメッセージは、これだと思っているんだよ
『どこかで自分を壊してでも先に進まなくてはならない時がある。
その結果惨めな失敗に終わり、人生で最も大事なものを失うことになったとしても・・・・・』
ワンコが、私の人生が失敗に終わることや大事なものを失うことを示唆しているとは決して思わないけれど、
いつもグダグダ悩んでばかりで前へ進もうとしない私の悪い癖と嘆きを一番知っているのがワンコだから、
きっと発破を掛けてくれているのだと思うんだよ ワンコ
今年一番の桜が咲いたというニュースの日、
新年度を前に気持ちも新たに頑張ろうというこの時期、
ワンコからの強烈なエールを胸に刻んで、また頑張るよ ワンコ
追伸
ワンコ 私が旅行という言葉を敢えて使った意味が分かるかい?
これまでの私がするのは’’旅’’だったと思うのだけど、今回のそれは旅行だったんだよ ワンコ
そのあたりについては、又いずれ・・・・・
ワンコと一心同体組で出掛けた今回の旅行、
学ぶところも気付いたところも多く充実していたけど、なかなか大変だったね ワンコ
それについては又いずれ書こうと思うのだけど、まずはワンコが教えてくれた本について書いておくよ ワンコ
「オライオン飛行」(高樹のぶ子)
高樹氏というと恋愛小説の妙手として有名だが、その手の本に関心を持ち合せていない私は、高樹氏の作品を読んだことがなかった。
本書も、九州帝大附属病院の看護婦・久美子と、日本に墜落して重傷を負ったフランス人飛行士アンドレ・ジャピーの出会いから別れまでの謎を、久美子と血縁関係にある(久美子の弟の孫)あやめが追うという意味においては恋愛物語なのだが、この時代にフランス政府が頻繁に懸賞飛行を実施していた理由や、在日本フランス大使館のジャピ―への対応を注意深く読むと、まったく異なる側面が見えてくる。
そして、その異なる二つの側面は、星を語る言葉にも如実に現れている。
1936年アンドレはパリから東京へと飛び立ったが、それはパリー東京間を100時間以内に飛んだ者に30万フラン出すというフランス政府の懸賞へのチャレンジだった。
懸賞飛行の常連であり その成功により英雄視されていたアンドレに対抗心を燃やす飛行機乗りは多くいたそうだが、その一人にサン・テグジュペリも含まれていた。
「星の王子様」(サン・テグジュペリ)は砂漠に墜落して、何日も命からがら砂漠を歩き回った体験から生まれた物語だが、墜落に終わるサン・テグジュペリの飛行は、アンドレの記録に対抗してのものだったという。
同時代には1927年、ニューヨーク―パリ間を飛んだリンドバークもいるように、この時代に懸賞飛行や飛行機レースが盛んだったのは、空路開拓や技術向上という目的もあったが、国威発揚ひいては世界大戦が忍び寄っていた影響によるところが大きい。
そのような時代を潜り抜け、第二次世界大戦後も飛行機に乗り続けたアンドレは、娘に宛てた絵葉書に、こう記している。(『 』「オライオン飛行」より)
『夜の飛行は(絵葉書の)この写真のように明るくないよ・・・・・地球の半分は夜なのだから・・・・・私は仕方なく星を目印にするが、それらは星では無く、ときに星に姿を変えた神や悪魔になる・・・・・目印にしても良いけれど信じてはならない・・・・・すぐに姿を消すし、誤った方向に人間を導くこともあるからね・・・・・本物の飛行家は自分以外のすべてを疑う・・・・・絶対的なものなど無いということを夜の闇が教えてくれるから・・・・・空を飛べば身に染みて解ることだよ』
娘宛ての絵葉書の写真は1960年ムルロア環礁を撮ったものだが、それはフランスが南太平洋で200回もの核実験をすると決定する数年前のことであり、そこをアンドレが何度となく飛行していたことを頭に入れて、再度アンドレの言葉を読むと、アンドレが何を星に例えていたかは明白だ。
一方、血縁者の恋物語を追う あやめと、あやめの謎解きに協力する初老の男性・一良を通して描かれる星は、まったく趣を異にする。
『月やオライオンの七つの星を、天空の平面に置いて眺めるしかないのが人間の限界である。地球からほんの少し離れてこれらを見れば、いずれも恐ろしく無縁な星同士、宇宙の塵があちことに離れて存在しているだけのことで、それでも人間がなにがしかの物語を紡ぐのを良しとするなら、物語が必要とされるなら、ギリシャ神話の勇士オライオンの右肩から斜めに切り進む
半欠けの月に心を深々と波立たせ、それを言い表すだけの言葉こそ持たない未熟な人間同士であはあるけれど、これまで味わったことがない新鮮な啓示のようなもの、あるいは自らの生命の根本を貫くもの、それらを仮想の勇士オライオンと呼応させ、祈りとまでは言えないけれど、祈りによく似た清浄な感情に震える人間を、描くしかないのだ』
上記には、久美子とアンドレの恋愛だけでなく、あやめと一良の話が重ねられていることは分かるのだが、このような複雑怪奇な情緒的な表現は、どうにも苦手だ。
私のような単細胞には、以下の文くらい単純明白に書いてもらわなければ、意図するところが通じない。
『人間は必死に生きている限り、より良い方向へ飛翔する。より良い場所に着地する。
なぜならオライオンが味方してくれるから。オライオンが、彼らの溜め息に耳を傾けてくれるから。
本当かと問うことなかれ。本当なのだ』
ワンコ、同じ星を語っても、アンドレと あやめでは、全く違っているだろう?
「オライオンが味方してくれるから、必死に生きている限り、良い方向へ飛翔し着地できる」と純粋に信じることと、
「神や悪魔は星に姿を変え、誤った方向へ人間を導くことがあるから、それを目印にしても良いけれど信じてはならない」と疑うことと、
きっと両方が、大切なのだろうね ワンコ
私達が祈り憧れるのが本物の星であれば、良い方向へ導いてくれるのは、アンドレも否定しないと思うけれど、
私達は、祈り憧れる対象を間違えることが多く、そのせいで何度も人類は手痛い失敗を繰り返しているからね
絶対的なものを見極めることが出来ない自分を認識したうえで、絶対的なものがあると信じて、より良い方向に進んでいく努力を自らしないといけないね ワンコ
旅行の疲れで、何を書いているのか分からなくなってきたよ ワンコ
だってさ、ワンコ
犬星を見上げると、ワンコが笑い上戸の星になって、私達を守ってくれていると感じることができるから
それは絶対的なことだから、これ以上捻くり回して考えても仕方がないね ワンコ
でさ、絶対的なワンコから本書を通じて届いた一番のメッセージは、これだと思っているんだよ
『どこかで自分を壊してでも先に進まなくてはならない時がある。
その結果惨めな失敗に終わり、人生で最も大事なものを失うことになったとしても・・・・・』
ワンコが、私の人生が失敗に終わることや大事なものを失うことを示唆しているとは決して思わないけれど、
いつもグダグダ悩んでばかりで前へ進もうとしない私の悪い癖と嘆きを一番知っているのがワンコだから、
きっと発破を掛けてくれているのだと思うんだよ ワンコ
今年一番の桜が咲いたというニュースの日、
新年度を前に気持ちも新たに頑張ろうというこの時期、
ワンコからの強烈なエールを胸に刻んで、また頑張るよ ワンコ
追伸
ワンコ 私が旅行という言葉を敢えて使った意味が分かるかい?
これまでの私がするのは’’旅’’だったと思うのだけど、今回のそれは旅行だったんだよ ワンコ
そのあたりについては、又いずれ・・・・・