この写真は浅草にあった 凌雲閣(りょううんかく)
凌雲閣(りょううんかく)は、明治期から大正末期まで東京・浅草にあった12階建ての塔。
名称は「雲を凌ぐほど高い」ことを意味する。
12階建てだったので「浅草十二階」とも呼ばれた。関東大震災で半壊し、解体された・・・コピペです。
この塔を曾祖父岸源三郎が明治44年に買収
大正元年までの短期間でしたが経営にあたりました。
寂れていた浅草界隈に芝居小屋などを誘致。大いに活況を呈したと言うことです。
賑わう様子
震災時 燃え上がる浅草界隈
まだ肌寒い頃「澤田隆治氏」の代理人「Oka氏」からメールが届きました。
澤田氏はTVの長寿番組「新婚さんいらっしゃい」古くは「てなもんや三度笠」なを手がけた方とか
浅草一帯の記録を調べ書籍にまとめ出版したいとのお話し・・・早速澤田様とお会いしましたところ。
なんと、古書店で「岸源三郎」の息子「源四郎」の残した日記風のアルバムを見つけられたとおっしゃるのです。
源四郎は夫の大叔父です。(源三郎共々京都の出身)
そのアルバムの中には「岸家・・・祖母の実家」の貴重な写真と源四郎直筆の説明書きがぎっしり。
アルバム代金は「私の乗っている車が二台」ほども買えそうな値段・・・
中井の家に残されていて、私にも見覚えのある写真「時の元帥東郷平八郎」との1枚も。
ほぼ100年の時を経て、こうして日の当たる場所に、そして曽孫の嫁と対面できるなんて・・・
ブログを書いていたおかげなんです・・・私の書いた「岸源三郎」に検索がヒットしたそうなんですね。
さて、曾祖父が歴史の陰からあっという間に消えてしまったのは事業の失敗によるもの。
当時の読売新聞には「大山師」であったとさんざんに書かれ。褒め言葉は見つかりません。
おごれる人も久しからず・・・中井は平家筋ですからして。
残念ながら、曾祖父も大叔父も短命であったそうです。
平家物語の冒頭
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同
思い出し
驕らずに生きて、遺恨を残さず終いたいと・・・ことさらに深く思うこの頃なのです。
数年前に、中井の家を整理した時出て参りました岸家の浅草時代の写真。
当時の絵はがき。浅草界隈の写真。および岸家にまつわる資料など、一部ですが
両国にあります「江戸東京博物館」に寄贈いたしました。
歴史の小さな一角を成した曾祖父。「岸源三郎」に思いをはせた一日でした。
さて、ご訪問くださいました皆様。本日もありがとうございました・・・・・・