台湾に造られた烏山頭水庫 うさんとう・・・と読むのでしょうか。水庫はダムのことかと。
ダムの設計・監督を勤めたのは日本人技師の「八田與一・はったよいち」さん。
写真は八田與一さん。かれを記念する公園には、銅像が建てられていて、
亡くなった5月8日には慰霊祭が執り行われ、それは亡くなって70年を経る今も続けられているそうです。
彼は日本でより、寧ろ「台湾」の方でが有名なのかも知れません。
台湾の教科書で学ばれているそうです。東北大震災の折り多くの義援金が集まったのも
彼の功績に寄与することが「大」であったと思われます・・・これは個人の感想です。
八田與一さん。
石川県河北郡花園村・・・現・金沢市今町出身。
1886年2月21日~1942年5月8日
石川県出身の八田與一技師は、明治43年に台湾総督府に着任。
台湾各地の水利事業に携わった後。ダムの建設に・・・
烏山頭ダムは、1920年(大正9年)9月の着工から10年の歳月をかけ
完成されたそうで、水資源に恵まれず、農作物が実らなかった嘉南平野
の広大な土地が、大穀倉地帯と生まれ変わったとのこと。
工事に従事される方々とその家族、あわせて二千名近くが暮らせる
宿舎を完成させ、日本人と台湾人を区別することなく公平な立場で
工事を指揮監督し、この大工事を完成させたとのこと。
最初の放水が末端まで到達するのに2日もかかったとも・・・如何に広大な土地が潤ったか・・・
そしてこのダムは、現在も営々と稼働中の灌漑ダムであるという。
戦前に作られたダムが、今も稼働していることに彼の偉業を感じませんか!
実は、今年9月にfb友の原新治郎さんのご紹介で「日台絵画交流展」に出展させて頂くことになりました。。
今回の訪台は叶いませんが、来年は是非訪台し「八田與一記念館」を訪れたく思っています。
そんな訳で、故郷の友人「とっちゃん」からお聴きした話しを思い出しまとめてみました。
偉大な日本人に乾杯です・・・人は一代名は末代!
↑「記念館」です!
15歳年下の妻「外代樹・とよき」さんは、帰国命令の出た終戦の年
水路に身を投げて自らの命を絶ったと言うことです・・・
彼のいない日本に返る気持ちにはなれなかったのでしょう。
長くなりました・・・皆様ご訪問ありがとうございました・・・・・・
ありがとうございます
こういうお話は
もっと知るべきですよね
日本でも教科書に取り上げて欲しいわ!