二〇二四年十二月二十五日(水)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
飼い主さあ、昨今の大阪の空気には嘔吐を催すとか言ってるけど。
大学在学中から障害者介護をやっていた頃にかけてのことさ。大阪ではレイプ事件で泣き寝入りを余儀なくされる女性が山のようにいたんだ。フェミニスト団体はまだ小さくてなかなか個々のケースに寄り添ってケアする体制が十分じゃなかった。でも一九九〇年代後半から二〇〇〇年代に入る頃には司法との繋がりもだんだん出来上がってきて活動の余地も広がり出した。ところがその動きを快く思っていない人々も大阪には多かったのさ。「まあええやん」とか「やめていやだも好きのうちなんだろ?」とかいうオッサン的風土を恥じるどころかそれが大阪のふところの深いところだとかうそぶいてまんまとスルーしてしまうオヤジ文化天国をいつまでも謳歌していたいという稚拙な感情を逆に世界的に稀な文化として誇らしげにのし歩くって空気。日本広しといえども大阪だけは違うんだという大自慢する倒錯的空気。
まだ残ってるの?
そんな稚拙な大自慢はそもそも自慢できるもんじゃないし、とっととやめようという人々は沢山いるんだけど、ちょっと目を離すとすぐ元に戻ってしまうというこれまた稚拙に輪をかけた幼稚ぶりなのさ。だから大学は大阪でも就職は他府県を希望する学生って結構いたんだ。けど長引く不況で就職先を選んでいる暇をなかなか与えない構造が日本で定着してきた。その隙をついて大阪のオッサン的風土にいつまでも浸かりきっていたいという勢力が復活してきたってことになるんだけど、実際は大阪からオッサン的風土をしっかり消滅させてしまおうという動きはさほど広がりを見せなかった。だから復活も容易なわけさ。AVのなかの演出を実際の日常生活でやってしまっても「ええじゃないか」。乗り悪いぞお前って、そんなこと言って差別する側を大いに支援する空気が三度の飯と同じほど好きでたまらない土壌がまだ残ってるよね。
なんだか怖いって誰か言わないの?
それを言うとね、逆に叩き潰されるんだ。筋違いの話に持っていかれたりとかね。これまで何度もあったように今なおそういう土壌がぼこぼこ残されてる。世界遺産並みに。
じゃあ泣き寝入り文化を世界遺産にしちゃえばいいんじゃない?
いや、世界どころか地球上に残る代表的陰惨文化のひとつと言ってもいいくらいだと思うよ。大阪の裁判所がおかしな判決を出せる理由ってのは他府県で仕事してる一般的な弁護士が言うような法的手続きの次元で論じてる限り決して見えてこない。大阪という歴史的土壌のなかに「言った者勝ち、やった者勝ちの強姦主義」が深く根付いてるところからごっそり炙り出してこないことには不毛な水掛け論で終わっちゃう。
はあ、そんなもんですか。
司法の土俵に乗って司法の言葉を用いていくら丁寧に訴えてみてもその司法の言葉がただ単なる手続論次元へ持ち回されて結局被害者が泣き寝入りせざるを得ない仕組みを長く容認してきたせいで今の大阪の悲惨を結果してるわけでその逆じゃないのさ。
マス-コミっていうかテレビではほとんど見ないけど。
マス-コミは加害者目線に立って弱いものいじめを見せるのが好きなんだよ。読者視聴者の多くが悦んでくれる。死者でも出ない限りね、マス-コミにすれば性的暴力事件は繰り返し儲けさせてくれる商品だし。
それで食べてるのかぁ。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。マルコポロポロ。地球が崩壊し出すと人間社会も大抵崩壊し出しているのが通例。例えばなぜごくふつうの飲料水を手にいれるためだけなのにわざわざ値上がりするのか。身体の七割は水分から出来ているにもかかわらず。それでも多くの人間は絶滅するまでわかろうとしない。そんななかから湧き水のように出てくる音楽というものがとりわけ近代の成立とともに多岐に渡り出現するようになった。これもまたそのひとつなのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/1d/e9319d62046ba94b5e33d234c4cf5ac2.jpg)