白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて1019

2024年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「gonk tuf hi」

飼い主の部屋が温まるのをパソコン机の上でおとなしく待っている。2:22付近以降最低音部のゴロゴロ音がコンスタントに流れるなかお気に入りのぬいぐるみで遊んでやると結構走り回る。できるだけ猫にストレスをかけない工夫として自由に出入りできるよう部屋のドアを半開きにしているのだが途中から出たり入ったり。入ってきたかと思ったらゆったり体を横にしてしばらく休憩。休憩時の姿が猫というよりなんとも人間に似てきた。4:25付近からぬるぬるしたグルルル音が挿入されるとともに遊び心を刺激されるらしい。もはや定番的反応。しかし定番的な慣れを生じるとオウテカばかり聴かせていてもあまり変化が見られないのではと気にはなるがオウテカの音楽も発表したアルバムによりけりで最初に一度試してみた際に猫がほとんど反応せずつまらなそうにしていたものも実はあった。なのでまだしばらくオウテカを聴きながら一緒に遊んで反応を見ようと思う。特に夕食後は率先して猫の側から飼い主に付いてきて本棚部屋やギターアンプの周囲で遊んでもらえるのを楽しみにするように変わってきた。とはいえ猫にすれば「gonk tuf hi」は比較的単調な曲で飼い主との遊びの他にはさほど何も期待していないようにも見える。


Blog21・二代目タマ’s ライフ424

2024年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年十二月二十七日(金)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕ご飯なんでお蕎麦だったの?年越しにはまだ早いって聞いたよ。

 

これといっって食べるものがなかったからね、低所得者層としては予定通り順番に食べていくとそうなるわけさ。年越しとは関係ないよ。

 

じゅあ年越しソバはどうするの?

 

どうしようかなあ。特別なものが食べられる身分じゃないしね。

 

タマは?

 

ん?

 

タマの年越し。

 

ご飯は大丈夫なように買ってある、心配しなくていい。

 

そうじゃなくて年越しご飯と年明けご飯。

 

子猫で衰弱が激しかった頃に缶詰あげたけどね、あれは体調を整える時だけの食べ物でどちらかっていうと医療用だね。元気に走り回れてる時期にはよしたほうがいい。変に依存しちゃうと癖になって食事に無用の偏りができてしまう。普段でも特別な日でも。いつものご飯でもはずんでるんだ、これでも。

 

そうだった。でももし思わぬ事態が発生して飼い主がくたばってしまっちゃタマのご飯だけあっても仕方ないんじゃないの?

 

それは言えるな。

 

んで、そんな時はどうしたらいいの?

 

どうもこうも日本の社会保障ってのはもう基本からしててんでなっちゃいないからね。とりあえずタマ救出のための連絡網は作ってある。

 

よそのお家もそういうふうにしてるの?

 

もちろんしてるお家もたくさんある。だけど東京裁判で命乞いして日本の政治をこんなになるまでめちゃめちゃ私物化してきた満州帰りの広告代理店とアメリカの下働きばかりして日本を凋落国家へ叩き落とすのに奔走してきた満州帰りの政治家一族をとことん追い詰めてアメリカのヘリコプターか飛行機で日本から逃げ出さざるを得ないところまで追い詰めないと日本の自衛官や警察官も実は人身御供にされてしまうような環境だからね。政治も軍事もそして何より歴史はそこまで甘くないってことを骨身に沁みて心底から悔やんでも悔やんでも悔やみきれない場所へ叩き込んで自己粛清させないと日本は加速的に滅亡するってもう目に見えてる。

 

猫の身ではわかんないけど。

 

わかんなくていいんだ。日本政府と今や日の出の勢いで台頭するグローバルサウス諸国はそんな歴史をよくよく知ってることだし。

 

でも東京裁判でアメリカと取引した政治家一族はアメリカに助けてもらってヘリコプターで逃げて世界中に大恥を晒したとしても日本には天皇制っていうのがあるんじゃない?そこらへんはどうなるの?

 

天皇は日本の象徴だからね。アメリカに亡命するようなみっともない醜態を晒す必要はひとつもない。大事なのは天皇を盾にして日本を傍若無人にコントロールして巨万の富を仲間内だけで貪り続けてきたうれしがり政治家一族に滅亡してもらうところから出直すことさ。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。マルコポロポロ。地球が崩壊し出すと人間社会も大抵崩壊し出しているのが通例。例えばなぜごくふつうの飲料水を手にいれるためだけなのにわざわざ値上がりするのか。身体の七割は水分から出来ているにもかかわらず。それでも多くの人間は絶滅するまでわかろうとしない。そんななかから湧き水のように出てくる音楽というものがとりわけ近代の成立とともに多岐に渡り出現するようになった。これもまたそのひとつなのだろう。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて1018

2024年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「clustro casual」

パソコン机に乗ってくる。積んである本の上でおとなしくおっちん。4:36付近からしばらくお気に入りのぬいぐるみで遊んでほしがる。けれどもすでに慣れている音の繰り返しだからかもしれないが7:48付近からなんとなく飽きた様子で床に横になってお腹を見せたりしてくつろぐ。9:22辺りになると再び机の上に飛び乗り積んである本の上でおとなしくおっちん。ふだんは警戒してあまり触らせてくれない首筋を飼い主が軽くさすってやると抵抗なくなされるがままさすらせてくれる。あれよという間の11:13分だった。夕食後の運動を兼ねた音楽としてはちょっと和みすぎたように見えるのでちなみに「Ipacial Section」を聴かせてやると本の上でおっちんしたまま首だけ傾けてパソコン画面に見入る。一度聴いた曲なのだがその時はこれといった反応を示さなかったけれども今度はパソコンのスピーカーに関心を示す程度には気持ちが動いたように思える。とはいえどちらかといえば一貫してダウンテンポの曲が好み。


Blog21・二代目タマ’s ライフ423

2024年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年十二月二十六日(木)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食後、久しぶりにコロの上で居眠っていたタマ。窓外のフェンスに雀が止まりに来たようで軽い歯音をかくかくと立てている。

 

今日は少し寒さがやわらいだねタマさん。

 

いつもの雀さんが来てたんだ。タマが外に出られないのを知ってるから目と鼻の先でも平気のへいさで囀って見せるんだ。タマも何かひとつくらいやらなきゃって思ってとりあえず歯を鳴らしてみた。

 

どうだった?

 

全然気にしてないみたいだ。からかわれてるのかな?

 

どうかな。ちなみに雀は人間の行動をよく観察してるよ。電車の最寄駅に学校帰りの高校生とかが沢山やってくる時間帯とかだとオヤツやパンの残りが貰えると思っていかにも可愛げな仕草で生徒らの周囲をうろうろして見せてるなあ。

 

で高校生さんはどうするの?

 

持ってるパンを小さくちぎって投げてやったりしてるな。人馴れし過ぎなんだこの辺の雀は。人をたらし込むにはどうしたらいいかって方法も熟知してるし。

 

へえ、どんなふうにするの?

 

高校生や中学生だからってただ単にその周囲をうろうろして回るだけじゃなくてね、ややよろよろした歩き方でいかにも無防備に口を開いて生徒らの集団に近づくのさ。十代半ばの子どもたちから見れば情が移ってしまって思わずパンの切れ端くらいやってもいいかなって気持ちになる。

 

雀さんって賢いんだね。

 

そりゃ賢い。特にこの辺りの雀はね。飼い主は高校時代だけこの近くの私学に通ってたんだけどもうその頃から伝統的にこの二、三個の駅だけで顕著に見られる高校生の気持ちの動きをよく把握してた。四十年経っても変わってないね。

 

でも飼い主がここを離れて大学に行ったり大阪で障害者介護に入ったりしてるうちに四十年が過ぎちゃったんでしょ。日本も新自由主義一色になっちゃったっていうのに雀さんたちは楽勝なのかな。

 

新自由主義ってのは出てきた瞬間からそのオルタナティヴを発生させないわけにはいかないシステムでね、動植物に限らず生身の人間に対して脳機能にも身体機能にも治療不可能な数知れないアレルギー反応を引き起こす傾向があまりにも強い。押し進めていけばいずれ地球が終わる。

 

猫や雀さんはどうなるのかな。

 

ひとまず目に付きやすいことで言うと猫や雀さんが異常な死に方をしたり原因不明の病気にかかったりするわけ。何年もかからないうちに人間の乳幼児にそっくりの傾向が発見されて始めて人間社会は恐怖するのさ。日本では水俣病が見た目にわかりやすいこともあって有名だけど、今のようにコンピュータの端末を駆使して脳科学の分野で子どもたちに黙って脳機能に常に働きかけるような現代社会ではその結果起こってくる精神的崩壊や心身の破壊ってのがさらなる問題になって国が賠償しなけりゃいけなくなるのは目に見えてる。

 

タマと窓の外に時々遊びに来てくれる雀さんたちはどうなるの?

 

それなりに考えてはいるさ飼い主としては。でもマス-コミが政財官学界の盾になって地球壊滅のシナリオを覆い隠して逆にあたかも幻想的ユートピアがやってくる!みたいに宣伝しまくってる昨今じゃ白けるばかりだね。マス-コミにせよ政財官学界の有名人にせよ自分だけは被害者にならないと信じて疑ってない。科学の顔をした宗教に過ぎん。もはやカルトの様相を呈してる。被害者にならないってことは加害者の立場を勝って出るというわけだし。

 

でも加害者でもあり被害者でもある立場の人々もいるって聞くよ。

 

ここ何年かでようやく取り上げられつつあるよね。けど実をいうとそれはもう一九七〇年代前半頃すでに精神医療の現場レベルで往々に発生してきて認識も徐々に広がりを見せてきてた問題でね、飼い主が大学在学中の八〇年代後半には大いに議論されてた。まだSNSなんてひとつもなかった頃。新自由主義って言葉も肯定的なもんじゃひとつもなくて否定的な取り扱いだったんだ。ところが新自由主義とネットの普及がセットになるやマス-コミはがらりと姿を変えた。自分たちは「勝ち組」になれると錯覚したのかも知れない。人間誰しもおっちょこちょいのところはあるからね。しかし歴史ってのはそこまで甘くない。今朝の「勝ち組」が夕方には「負け組」になるネットワークができたから。で勝っても負けてもいずれにしろ国家的巨額にのぼる賠償責任の発生は不可避ってところだ、今みたいな差別的報道を改めるどころか逆に押し進めてる限りは。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。マルコポロポロ。地球が崩壊し出すと人間社会も大抵崩壊し出しているのが通例。例えばなぜごくふつうの飲料水を手にいれるためだけなのにわざわざ値上がりするのか。身体の七割は水分から出来ているにもかかわらず。それでも多くの人間は絶滅するまでわかろうとしない。そんななかから湧き水のように出てくる音楽というものがとりわけ近代の成立とともに多岐に渡り出現するようになった。これもまたそのひとつなのだろう。


Blog21・日本マス-コミ衰亡記/時代錯誤への意志

2024年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム

世界のどこにいてもデモを見ない日はない。デモはいつどこででも行われている。この平凡な事実。

 

ネットの普及があからさまにしたことのなかでもこの大きな事実は、その事実の大きさににもかかわらず、デモはいつでもどこでも起きているというあまりにも平凡な事実だった。

 

というところまでは世界共通の平凡さだろう。ところが日本ではもっと事情が異なっていることがますます判明してきた。どういうことか。

 

日本の場合。世界各地で絶え間なく行われている種々のデモを、人々は見ていないのだった、というより、見ようとしていないのだった。ネットの普及があからさまに照らし出した、これも事実だ。

 

日本のマス-コミとなるとさらに問題は鮮明になってきた。その情報消費者に向けて、より一層犯罪の色を帯びていたという事実について。例えば多極化する世界のなかでひとつひとつのデモにはそれなりの大義というものがあるわけだが、マス-コミ情報消費者が期待しているのは特定の陣営の主張を全面的に押し出すことではない。もしそんな態度を続けていると消費者の側はすぐに愛想を尽かして他の情報元へ鞍替えしつつ大抵の場合、それも生活資金に余裕のある場合に限り、海外へ移住してしまう。

 

日本のマス-コミの欠点のひとつに今なお上げられるのが、報道の言葉について、配慮が足りなさすぎる点である。

 

星の数ほどにも多極化しもはや同盟国という言葉はあってもその繋がりの強度は増減が激しくほとんど有名無実になっている世界であるにもかかわらず、たとえば香港民主化運動デモでは若年層を褒め称える一方、また別のデモでは香港民主化運動より全体的に平穏だったというのに「一部が暴徒化」したと伝える。この時代錯誤。呆れ返る。

 

さらに「一部が暴徒化」という表現はいついかなる時にどんな用いられ方をしたとしても常に政治性を帯びないわけにはいかない。問題含みでしかあり得ない。一九八〇年代後半には報道の犯罪性が問われ続けていたわけだが、その片付けに取り掛かるにも手をこまねいてぐずぐず渋っている間に惰性的に使われつづけている。「一部が暴徒化」。

 

このところ鳴りをひそめているように見えるけれどもずっと続いているアメリカの「ブラック・ライヴズ・マター」。あの映像が世界に広がり、アメリカはちっとも変わっていない、黒人差別は日常茶飯事のままだ。そう思うほかなかった人々はネットの普及にもかかわらずアメリカは相変わらずベトナム戦争を生きているのかと落胆したのだった。その際にも日本で飛び交った情報のなかには黒人被害者の訴えに罵詈雑言を浴びせながら「一部が暴徒化」したと喚き散らす動きが見られた。

 

「暴徒」とは何か。

 

規模の大小を問わず何らかのデモに参加したことのある人間なら誰でも身におぼえがあるに違いない。巨大な政治権力が押し寄せてきて棍棒のようなものを振り上げ出し殺されそうになったのでとっさに腕で棍棒の殴打を振りはたいたとしよう。すると棍棒の殴打を振りはたいた腕の動きを捉えて「暴力を振るった」と言われる。マス-コミはいつもそうだ。とりわけ日本のマス-コミは。と当時に国家暴力の正しさを、時には感動に声を振るわせながら、称賛するのである。