「久しぶりの王子散策記 #1」のつづきもお札と切手の博物館の見聞録で、「#1」で予告した「地域通貨」のお話です。
日本最初の「紙幣」が「地域通貨」だったというのは知る人ぞ知ることでして、説明板によれば、
1600年ごろ、日本で最初のお札である「山田羽書(はがき)」が登場する。伊勢神宮の門前町である山田で、商人たちが小額銀貨の預かり手形を発行し、これが貨幣の代わりに流通するようになったのである。
この「山田羽書」のことは2年前に放送されたブラタモリ「伊勢神宮 ~人はなぜ伊勢を目指す?~」に出てきましたっけ…
「山田羽書」のことは知らなくても、「藩札」なら「知ってるぞ」という人は多いんじゃないでしょうか?
上の説明板に載っている「出羽窪田銀」の現物(日本銀行貨幣博物館蔵)は展示されていませんでしたが、
同じ秋田藩(久保田藩)発行の藩札は現物が展示されていました
さて、この「藩札(はんさつ)」というのは、もう一度説明板から転記しますと、
江戸幕府は、金銀銅貨の「三貨」を発行し、全国的な幣制を整えた。しかし、地方では幕府発行の貨幣が不足した。そこで諸藩は、貨幣不足を緩和し、さらに藩の財政赤字を補塡するため、領内流通の藩札を発行するようになった。現存する最古の藩札は寛文元(1661)年に越前福井藩が発行したものである。
藩札は、乱発されて価値が下洛
することもあったが、価値さえ安定していれば金属貨幣より軽量で便利であり、江戸時代を通して全国の藩で発行されるようになった、明治4(1871)年に藩札の通用が停止されたときには、244藩(全国の藩の約8割)が藩札を発行していた。
だそうです。
正貨と交換
できるという信用力と、藩による強制力
によって、紙っぺらが藩内限定で貨幣として流通していたというわけですな
さて、時代は明治に変わり、明治政府は「太政官札」という政府紙幣を発行しました。
ところが、Wikipediaによれば、
当初、国民は紙幣に不慣れであったこと、また政府の信用が強固では無かった為、流通は困難をきわめ、太政官札100両を以て金貨40両に交換するほどであった。このため政府は、太政官札を額面以下で正貨と交換することを禁止したり、租税および諸上納に太政官札を使うように命じたり、諸藩に石高貸付を命じるなどの方法を講じた。これらの政策や二分金の贋物が多かった事などから、信用が増加したために流通するようになったが、今度は太政官札の偽札が流通し始め、真贋の区別が難しくなったため、流通は再び滞る
ようになった。
だとか。
この辺りの「事情」についてお札と切手の博物館の説明板では、
太政官札は、政府の依頼を受けた民間の職人によって、幕末期以来の技術で製造された。そのため偽造抵抗力が低く、偽札が出回ったため、政府は近代的な印刷技術によるお札の製造を外国に依頼した。
だそうです。
発行元の信用だけでなく、紙幣そのものの信用(真贋)もまた、紙幣には重要だということですな。
そして、発行されたのが、ドイツで印刷された「明治通宝」と呼ばれる紙幣。
「日本風」というよりも「東洋好み」といった雰囲気が外国でデザイン&印刷されたことを伝えているようです。
ところで、太政官札も明治通宝も、正貨との交換を保証しない「不換紙幣」でして、ひたすら「政府の信用」で流通させようとしています。
ところが、Wikipediaから引用すると、
当時は金本位制が国際的な流れで日本でも兌換紙幣(本位貨幣と交換が保障されている紙幣)を発行する必要性があった。明治政府は金本位制度の確立を民間に任せることとし、1872年(明治5年)に国立銀行条例(民間資本で発券銀行を設立し兌換紙幣の発行を義務付けるというもの)を制定した。これにより4行の国立銀行が設立され、1873年(明治6年)から兌換紙幣としての国立銀行紙幣が発行された。
券面をよく見ると、
「この銀紙幣を持参した者には、いつ何時であっても、2円をお渡しします」
といった文言があるのが兌換紙幣たる由縁です。
ちなみに、これら兌換紙幣を発行した「国立銀行」、「国立」とうたっていますが、現在の「国立」とは意味が違っていまして、実質的に「私立銀行」です。
例えば、国立銀行として最初に設立された「第一国立銀行」は、「三井組」と「小野組」を母体としたもので、第一銀行⇒帝国銀行⇒第一銀行⇒第一勧業銀行⇒みずほ銀行と現在につながっています。
みずほ銀行の金融機関コードが「0001」なのはこんな由来によるわけで…。
ここで疑問が湧き上がりませんか?
「第一国立銀行」の設立に関わった三井財閥(三井グループ)のメインバンクが「第一国立銀行」の流れを汲むみずほ銀行ではなく三井住友FGなのか ということ。
これは、三井財閥が、小野組やら渋沢栄一やらも経営に関わる第一国立銀行(1873年営業開始)とは別に、「自分たちの銀行」として「三井銀行」を設立(1876年)したから
私、大学では経済学部で日本経済史のゼミに所属していたのですが、ゼミの教授の忘れられないことばが、「就職したら、ぜひ、社史
を読んでください」というものです。
この影響があるのかないのかよく判りませんけど、企業の歴史って、ホント、面白い
と思っています
なんだか方向性が判らなくなってしまいましたので、きょうはこれまで
番外編:2018/06/19 久しぶりの王子散策記 番外編
つづき:2018/07/16 久しぶりの王子散策記 #3