新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

台風に邪魔されながらの関西旅行記 #2-2

2024-09-13 13:17:32 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #2-1」のつづきです。

正倉院正倉の外構(建物)を見物したあとは、せっかくですので、東大寺大仏殿にお参りしました。

まずは大仏殿の正面に立つ国宝・八角灯籠から。

この灯籠は、普通の灯籠に比べて、脚部(竿)が短くて、失礼ながら「胴長短足」に見えます。
思うに、巨大大仏さまと釣り合う灯籠にしようとすれば大きな火袋(火を灯す部分)が必要だけれど、さりとて馴染みのプロポーションにすれば火袋の位置が高くなりすぎて、火を灯すのが大変(加えて、せっかくの火袋のレリーフ見えない)という理由で、こんな形になったのかな? と推察します。
それはともかく、8面のうち4面にある「音声菩薩(おんじょうぼさつ)(笙、横笛、縦笛、チャッパからなるカルテット)イイんです

音声菩薩のお顔はふっくらされていて、「これぞ天平って感じです。よく判らんが…
(写真のチャッパ[鈸子]担当のレリーフはレプリカで、オリジナルは東大寺ミュージアムで展示されています)

現在の大仏さまの頭部は江戸時代初期に復興された4代目だそうで、もしかすると、創建時の大仏さまのお顔は、音声菩薩のように、ふっくらされていたのかもしれません。

大仏殿が炎上し、大仏さまが熔けてしまうような戦火に繰り返し見舞われながら、至近に立つ八角灯籠や、近くの正倉院1300年近くも残ってきたのが奇跡のように思われます。
なお、天平時代から残る東大寺の建築物としては、法華堂(三月堂)[訪問記]転害門[訪問記]があります。

大仏殿の中を一回りして、今回の東大寺探訪を終わりにし、次は、昼食前に奈良国立博物館(奈良博)を見物することにしました。

それにしても暑い

あまりにも暑いもので、来た道を返して奈良博に向かう途中、「東大寺門前 夢風ひろば」で、内部から体を冷やすべく、かき氷を食べました。

かき氷かき氷を注文したとき、お店のお兄さん曰く、「お客さんのうち、日本人は5%くらいかな?」だそうな

うんうん、確かにそんな感じがします
外国人にとって日本の仏像や古い建物どんな感じなのかは判りませんが、世界広しとはいえ、野生の鹿がうじゃうじゃいて、それがおとなしくて(たまには凶暴なのもいる)体に触らせてくれるなんて場所はそうそう無いでしょうから、得がたい体験ができますからねぇ

   

「#0」で書いたように、私は旅行の2日前、東京国立博物館(トーハク)に行き、「友の会」更新してきました(もちろん、総合文化展=平常展も観てきた)。
「友の会」(年間 税込7,000円)にはトーハクの特別展観覧券3枚ついてくるほか、

本会員証で、東京・京都・奈良・九州国立博物館の平常展を何度でもご覧いただけます。
京都・奈良・九州国立博物館各館が主催する特別展を、ご本人のみ何度でも、団体料金でご覧いただけます。

という特典があります(他にもある)
トーハクの特別展は、特別観覧券を使い切ってしまうと何の優待もないのはいかがなものか(かつての会員制度では団体料金で観られた)ですが、これまでも京都・奈良・九州国立博物館でこの特典を利用してきました。
さて、今回はどうでしょうか?

奈良博では「泉屋博古館の名宝」「フシギ! 日本の神さまのびじゅつ」の二つの展覧会が開催中で、これは特別展なのか、はたまた平常展なのか…

チケット売場「友の会」会員証をお見せしたところ、なら仏像館も含めて、無料でご覧いただけます」だそうな
やった トーハクに行って更新してきた甲斐があった でした

で、まずは「泉屋博古館の名宝 住友春翠の愛でた祈りの造形」から拝見しました。

「第15代住友吉左衛門友純(雅号:春翠、1864~1926)のコレクションをはじめとして住友家伝来の美術品の保管、研究、公開を行う美術館」泉屋博古館(せんおくはくこかん)存在や所在地(銀閣寺に行く途中の路線バスがその前を通った)は私も知っていましたが、京都・鹿ヶ谷本館にも、東京のリニューアルした泉屋博古館東京にも行ったことがありません。

住友コレクション中枢をなしているという青銅器への関心が薄いのが、その一番の理由なのですが、せっかくの機会なんで楽しませていただきました。

まず驚いたのは、住友春翠こと住友吉左衛門友純さんの出自でした。
「友純」と書いて「ともいと」と読ませるところからやんごとないものを感じるのですが、Wikipedia にあるとおり、

東山天皇の5世孫である従一位右大臣徳大寺公純の第6子として生まれた。

だそうで、内閣総理大臣経験者の西園寺公望実兄とは
まさしく世が世ならば「公達(きんだち)ですな

徳大寺友純さんは、住友家当主父子が相次いで亡くなったことから、29歳1892年に請われて婿養子として住友家に入ったのだとか。

もちろん、当主とはいえ、実業経験のない「公達」ですから、住友家の運営は「番頭」格の人たちが担ったのでしょうが、Wikipediaによれば、現在の三井住友銀行につながる住友銀行が、「(1895年)11月1日住友本店銀行部として、住友吉左衛門の個人経営による資本金100万円の住友銀行が開業」だというのは初耳でした。

さらに、銀行業進出を決めた住友家の重役会議が尾道で開かれ、そして住友銀行の最初の支店「尾道支店」だったというのもまた初耳です

「どうして尾道?」なんですが、尾道が物流の要衝で、住友家の祖業の別子銅山からも住友本店のある大阪からも重役が集まりやすいということらしい。

ここで、15年前尾道に行ったとき[旅行記]旧住友銀行尾道支店の写真を撮ってたりしないかな? と思ったら、ありました

この建物を見たときは、何の建物か判らなかったんですよねぇ
まさか由緒正しい建物だったとは

なんとも「泉屋博古館の名宝 住友春翠の愛でた祈りの造形」展から逸れっぱなしですみません
ここで、住友家・住友春翠のことおしまいにして、「#2-3」からは展覧会のことを書きます

なお、住友コレクションを所蔵する美術館の名が「泉屋博古館」なのはなぜか、住友グループのトレードマーク「菱井桁」なのはなぜか、については、過去の力作「井桁と菱を調べてみた話」をご一読くださいませ。

つづき:2024/09/14 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #2-3

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