「台風に邪魔されながらの関西旅行記 #2-2」のつづきです。
奈良国立博物館(奈良博)の「泉屋博古館の名宝」展、前半は青銅器がメインで、「青銅器はちょっと…
」な私は、そうかそうか
と流し気味でした。
青銅器は、その造形自体がわたし的にイマイチなことに加えて、その名前が難しい、名前に使われている漢字が難しくてうんざりしてしまうのです。
写真は、この展覧会で唯一撮影可だったもので、お名前は「鴟鶚尊」。
「しきょうそん」と読むらしく、「鴟鶚」とはフクロウのことで、フクロウをかたどった祭祀用の酒器らしい。
頭を取って、胴体にお酒を入れたんでしょうな。
「尊」という字は、とおとい、たっとぶといった意味を持っていますが、この場合は「酒器」という意味。
ちょいと調べたところ、こちらのサイトによると、「尊」は、
寸(手)と、酋(しゆう)(酒だる)とから成り、手で酒つぼを持ち、神にささげる、ひいて「たっとぶ」意を表す。
だそうな。
それはそうと、この「鴟鶚尊」を漢字変換するだけで結構な時間をかけてしまいました
出品目録をチラ見しただけで、
見たこともない漢字の大襲来です
「鼎」なんてかわいい方で、「夔(き)」とか「竊曲文(せっきょくもん)」とか「饕餮(とうてつ)」とか「罍(らい)」とか、見るだけで虫酸が走る気分になってしまいます
青銅器の研究者たちは特別な変換ソフトを使って論文を書いている
んだろうな…。
なお、本場の中共国では「竊曲文」を「窃曲纹」と表記しているみたいです 現代の中共国民は日本人以上に漢字を読めなくなっているから仕方ないか…。
こうしてテンションが上がらないまま「第1章 中国青銅器-春翠の情熱-」を見終えた私でしたが、「第2章 仏教美術-春翠の審美眼-」に入ると様相が変わりました。
「泉屋博古館の名宝」展のメインビジュアルとして使われている「水月観音像」(徐九方筆、朝鮮半島・高麗 1323年)のなんと美しいことか
観音さまの物憂げな表情といい、いかにも菩薩らしいきらびやかな装飾品といい、そしてなによりも、シアーというよりもシースルーのお召し物のなんとステキ
なこと
これまで私が拝見した仏画の中でもトップクラスの優品です
こりゃ床の間に飾って、毎日拝みたくなりますな
阿弥陀如来坐像も、平安時代(1130年)の仏像らしく、静謐感漂う穏やかな佇まいがよかったのですが、さすがにこちらは大きすぎて、わが家にお迎えするのが無理があります
ところで、私が知る少ない泉屋博古館の所蔵品で、「観られたらいいなぁ」と思っていた「佐竹本三十六歌仙絵巻」の「源信明(みなもとのさねあきら)」」は、残念ながら出陳されていませんでした。
まぁ、「中国青銅器」と「仏教美術」という章立てだと、ハズレてしまうのもむべなるかな…
と思ったら、住友財団のHPによれば、
現状では、巻物を掛軸に改装したため、巻皺・折れが甚だしく、本紙や絵具の剥落の可能性がある。また、住友家が誂えた表装も、近代における美術受容の様相を伝える貴重な資料であるが、損傷が見られる。本年度(2023年度)より2ヵ年計画で、表装切れの再利用を含めた修復を図る。
だそうな。そりゃ仕方ない…
数百年間も「絵巻」として横に巻かれてきたものが、断簡になったら「掛軸」に装いを変え、今度は縦に巻かれるようになったわけで、絵にとってはたまらない仕打ちだろうな
それはそうと、美しく甦った状態で「源信明」さまに再会したい(私は2019年秋に 「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展@京都国立博物館で一度拝見)ものです。
ところで、京博での「佐竹本三十六歌仙絵」展を観た後のブログで、私は、
源信明:鈴木馬左也⇒住友吉左衛門=泉屋博古館
とその所有権移転を書いたのですが、Wikipediaほかでは、「絵巻切断(分割) & 頒布抽選会」で「源信明」を引き当てたのは「住友吉左衛門」(=住友春翠)で、住友総理事の鈴木馬左也さんは「藤原仲文」を引き当てたことになっています。
私は、展覧会の図録を元にして書いたのですが、この不一致はどうしたことなのでしょう
帰省Uターンしたら、もう一度図録を読んでみますが、もしかして、春翠さんと鈴木馬左也さんは、引き当てたくじを交換
したのかも知れませんな
こういう「交換」は他の断簡でもあったと聞くし…
なお、「佐竹本三十六歌仙絵」断簡全37幅のうち、1919年の頒布抽選会からずっと同じ系統の所蔵のままなのは、住友吉左衛門⇒泉屋博古館の「源信明」と、野村徳七⇒野村美術館の「紀友則」の2幅だけです。
なんか凄い
と、またまた話が逸れたところで、「泉屋博古館の名宝」展の見聞録を終わりにして、西新館で同時開催されていた「フシギ! 日本の神さまのびじゅつ」に移動しましょう。
その話は「#2-4」で…
つづき:2024/09/15 台風に邪魔されながらの関西旅行記 #2-4