これは「辻」をはじめとした十二編の短編小説が収録されています。
初出は「新潮」に2004年7月から2005年9月までに掲載されたものです。
「辻」という短編は1編だけですが、12編全体に「辻」というテーマは少年期の原風景のように在りました。
それは父との暗い決別を象徴していると言えばいいのでしょうか。
「辻」・・・それはひととき佇んで、あるいは考える暇もなく、
選びとってしまった一個の人間の生きる道筋へのプロローグであり、
引き返すことのできないものとしての象徴だと言えばいいのでしょうか。
引き返すとしても、「辻」がどのあたりであったのか、
思い出すことのできない場所でもあるのでしょう。
また主人公が現実に立った「辻」は、そのまま夢の暗部へのもう一つのプロローグにもなっているようです。
これらの小説に登場する人間たちはほとんど青春期を過ぎた男女あるいは老人です。
まず「男女の出会い」という普遍的な人間ドラマを、作者はこの「辻」を起点として書いてゆきます。
またその「辻」に辿りつくまでの男女の生きてきた過去の道筋が、背後の影のように常にあります。
ある長い時間を生きてきて、もう充分に大人といえる男女の出会いがあったとする。
その互いの人格に「光」と「影」を与えた者は過去のさまざまな人間たち、あるいは死者たちではないだろうか。
それらは男女が互いに向きあった時に、お互いの背後に立ちあらわれるのではないか。
どうにもならないその状況が、最も深く現在を支配している。
時間の止まったものに対して、生きつづける人間の思いが超えることができるのだろうか。
生きている者の敗北すら思わずにはいられない。
古井由吉は1937年生まれ。これらを書いた時期は60代の終わりと思える。
「人間の老いあるいは死」ということを考える時、ふたたび人間はみずからの「辻」を思うのではないか。
後半の短編になると老人問題がテーマとなってくる。
老いの道は「辻」からは異界へのプロローグにもなるのだ。
この「老い」を身近なものとして見つめているのは中高年世代ですが、
そこにもまた彼等が踏み込む「辻」があるのでした。
ちょっと奇妙な表現かもしれませんが、これらは中高年男性の「ファンタジー」小説とも言えるのではないだろうか。
ここに登場する人々は人並みはずれた人生を生きたわけではない。
適切な時期に女性を愛し、結婚し、子供を育て、次第に老いてゆく人々の生活です。
「辻」にさしかかる毎に少しづつ生じてくる心の歪に、
かすかに沁み込み続ける狂気や夢が現実との境界をあやうくする。そのような生活。。
(2006年・新潮社刊)