ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

オルフォイスへのソネット第二部・4

2010-01-07 23:21:30 | Poem
おお これは存在しない獣。
人びとは実際には知らぬまま それでもやはりこの獣を
――その歩み そのたたずまい そのうなじ、
またその静かなまなざしの光までを――愛してきた。

なるほど存在してはいなかった。だが人びとが愛したから生じたのだ、
1頭の純粋な獣が。人びとはいつも空間をあけておいた。
そしてその澄んだ 取っておかれた空間のなかで、
それは軽やかに頭をもたげ そしてほとんど

存在する必要がなかった。人びとは穀物ではなく
いつもただ存在の可能性だけでそれをはぐくんだ。
そしてその可能性がこの獣に強い力をあたえ、

それは自分のなかから額に角を作りあげたのだ。1本の角を。
ひとりの処女のところへそれは白い姿で近寄ってきた――
するとそれは銀の鏡の、そして 彼女の内部にあった。

 (田口義弘訳)


おお、これは現実には存在しない獣。
ひとびとはこれを知らず、それでもやはり
――そのさまよう姿、その歩みぶり その頸を、
そのしずかな瞳のかがやきすらを、愛した。

たしかに存在はしなかった。しかし人々はこれを愛したから、
純粋の獣が生まれた。人々はいつも余白を残しておいた。
そしてその透明な、取っておかれた空間で
獣は軽やかに首をあげ、そしてほとんど、

存在する必要さえなかった。人々は穀物では養わず、
いつも存在の可能性だけでこれを育てた。
可能性こそ獣に大いに力をあたえ、

ために獣の額から角が生まれた。ひとふりの角が。
ひとりの処女(おとめ)のかたわらに、それはしろじろと寄った――
そして銀(しろがね)の鏡のなかに、そして処女のうちに、まことの存在を得たのだった。

 (生野幸吉訳)


 「マルテの手記」に書かれているように、リルケはパリのクリュニ美術館で観た「貴婦人と一角獣」と題されたゴブラン織りのタペストリーによって「一角獣」の姿を初めて観ているのです。
 また「新詩集」のなかには「一角獣」という詩も書かれています。さらに同詩集のなかに「ピエタ」という詩もあって、ここでも「一角獣」は登場しています。リルケにとってはそれは清らかな驚きとなったのでしょう。

一角獣  塚越敏訳

(前略)

象牙の脚立のような脚は
かろやかな均衡をえて 動いた。
白い輝きが浄福にあふれて獣皮をすべった。
その動物の静かな明るい額のうえには
月光を浴びた塔のように 角が明るく立っていた。
歩むその一歩は 角を直立させるためであった。

(中略→終連)

像という像をおのれの空間に投げ入れ
青い伝説の圏を閉じるのであった。


 「一角獣」は凶暴な力の象徴とされ、猟師はこれに近づくことはできない。しかし清らかな処女を慕う性格を持ち合わせているために、「純潔」の象徴とされている架空の生きもの。また、マリアの清らかさに魅せられた雌山羊が交合することなしに胎内に宿した子山羊が「一角獣」だという説もあります。体の色が「白」だということも含めて、「純潔」の象徴となります。

 実在しない「一角獣」・・・・・・しかし人々はいつも「一角獣」のために「空間」をあけておいただけであり、食物を捧げるわけでもなく、存在する可能性を信じることで、その存在をはぐくんだということでしょう。
 
 この「ソネット・4」は「ソネット・3」の「鏡」の延長線上にあって、銀の鏡のなかにいる処女の内部空間に「一角獣」は存在しているということでせう。

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