《10月27日・十三夜、後の月です。》
これは10編の短編集である。
「台所のおと」「濃紺」「草履」「雪もち」「食欲」「祝辞」「呼ばれる」「おきみやげ」「ひとり暮し」「あとでの話」。
昭和37年6月~昭和38年4月までの間に、「新潮」「群像」「文藝」「婦人之友」「週刊朝日」「うえの」に掲載されたもので、
これらをまとめた単行本は1992年、講談社より刊行される。
わたくしが読んだのは「講談社文庫」です。
いろいろな事を考え、行き詰まると、何故か少し前の時代に行ってみたくなるものだ。
そこで選んだ本が「幸田文」さんでした。
彼女が幸田露伴の娘であることは周知のことであるが、露伴なしには「幸田文」を語ることはできないだろう。
そして露伴の語り部としても「幸田文」以外の存在はありえないだろうとさえ思える。
さて、ここでの代表作は「台所のおと」以外には考えられない。
「解説」を書かれている「高橋英夫」が、すでに書いてしまったので、ちょっとくやしいが、
ここに描かれているのは、20歳の年齢差がある夫婦の物語である。
この夫婦の在り様が、離婚して露伴のもとに戻ってきた「幸田文」に対して、露伴が(父親でありながら)
日常のさまざまな躾をなさった風景と重なるものだった。
20歳の年齢差がある夫婦とは、小料理屋「なか川」の主人「佐吉」と妻「あき」である。
お互いに初婚ではない。終戦の荒野でたまたま知り合い、夫婦になって15年、今は佐吉は病床にある。
襖1枚を隔てた向こうで、「あき」がたてる「台所のおと」から佐吉は妻の行動を聞きとっているのだ。
その「あき」を料理人に育てたのは夫である。
妻の「台所のおと」で目覚める夫はいくらでもいるかもしれない。しかし台所経験のない夫が大半であろう。
いや、この時代ではあり得ないシチュエーションか?
そのような自問自答をしながら、「台所のおと」でゆるくやさしく繋がる中年夫婦の
静かな心の交流が見事に描きだされていることに、わたくしは背筋が伸びる心地でした。
病床の夫が、かつて妻に伝授した料理全般(のおとも含めて)を
妻は静かに再現してみせる。
(1955年第1刷・2012年第27刷発行・講談社文庫)