ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

オルフォイスへのソネット第二部・28

2010-03-11 22:13:48 | Poem
おお 来てはまた行くがよい。ほとんどまだ子供であるおまえ、
踊りの図形を一瞬 純粋な星座へと
完成させよ、私たちがそのなかで、
鈍く秩序づける自然をつかのま凌駕するあれらの踊りの、

そのひとつがなる星座へと。なぜなら自然は
オルフォイスが歌ったときにのみ、ひたすら聴きいって身じろぎしたからだ。
けれどおまえは あの時よりこのかたずっと動かされている者だった、
そしておまえはすこしいぶかしがった、一本の樹がおまえとともに

聴かれうるものになるのを 長くらめらったとき。
おまえはなおもあの場所を知っていた、
竪琴が鳴りひびきつつかかげられた――あの未聞の中心を。

その中心のためにおまえは美しい足どりを試み
そして望んだのだ、いつの日かあのまったき祝祭へと
友の歩みと顔を向けさせることを。

 (田口義弘訳)


 このソネット集の扉には「ヴェーラ・アウカマ・クノープのための墓碑として書かれる。」と記されているように、この踊り子は19歳で夭逝した「ヴェーラ」のことでせう。

 「ヨハネの福音書第三章8節」に「吹き来たり、去ってゆく風」という言葉があるのですが、このソネットのはじまりの言葉に重ねられていますね。また「オルフォイス」そのものが遠くから、ひととき訪れて地上の樹木の耳や生きものたちに歌声を届けると、また誰も知らない(あるいは竪琴の弦をくぐりぬけた向こうの。)世界にかえってゆく神であることにも重ねられます。

 さらに夭折した「ヴェーラ」に対して、リルケは友人への手紙のなかで「この少女の未完成と無垢とが墓の扉を開けたままにしているので」「生の半面を新鮮に保ちつつ、それとともに傷口の開いた別の半面は開かれた緒力(=神々)に属している。」と書かれています。それは「ヴェーラ」が「オルフォイス」のいる場所を知っている女司祭であると言っても過言ではないだろう。

 最後の「友」とはリルケも含まれている。

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