ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

版画に見る印象派

2010-03-06 22:58:07 | Art
 
   (ジャン・フランソワ・ミレー・落穂拾い・1855~1856・エッチング)

 4日は曇天のち夜には雨・・・モノクロな一日でした。埼玉県立近代美術館にて観てきました。約130点ほどの作品のほとんどがモノクロでした。サイズも小さな作品が多いので静かな展覧会という感覚がありまして、ずいぶん時間をかけて観ましたが、疲れを感じませんでした。美術館を出てから時計をみて驚いてしまいました。しかし「印象派」という括りは、これは実際には一人一人の画家の同時代的かつ同地域を共有する集団の1つの傾向を大雑把に括るだけではないのかな?では大雑把に備忘録でも書こうかしらん(^^)。


 「印象派」とは、ヨーロッパの19世紀末から20世紀初頭にかけて絵画界を中心とした大きな芸術運動。写実主義から抽象主義への変化の初期段階である。印象派の画家たちの時代は、すでに貴族や富豪らのパトロンはいません。絵画市場や投機家によって商品絵画として扱われた時代です。

 1827年に「写真」が発明され、肖像写真として絵画よりもはるかに正確で安価で納期が早い。写真は当時の人々にとって全く新しい視覚であり、新たなインスピレーションを画家たちに与える。

 1840年に発明された「チューブ入り絵具」によって、画家たちは絵具を作成する作業から解放されました。絵具の作成は画家にとって重要な技術の1つであり、その技術は画家の個性だったのですが。しかし画材道具の発達に伴って、屋外で絵を描くことが可能になりました。日差しと天候の変化する屋外では、細部を省略し、すばやく絵を描く技法が生まれた。この画家たちは「バルビゾン派」と呼ばれる。

 1867年パリ万国博覧会が行われる。日本の薩摩藩、佐賀藩も万博に出展し、日本の工芸品の表現方法が注目された。次の1878年パリ万博のときには既に「ジャポニスム」は一大ムーブメントになる。

 1874年にモネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、ピサロ、モリゾ、ギヨマン、シスレーらが私的に開催した展示会は、後に「第1回印象派展=画家、版画家、彫刻家などの合資会社」と呼ばれる。これは社会的には不評であったが、スーラ、ゴッホ、ポール・ゴーギャンなどのポスト印象派、新印象派へと続くものとなった。なお、マネは印象派展には参加していません。


 ・・・・・・とまぁそのようなわけで、印象派の画家たちは、油彩画を描くかたわら、同時にエッチング、リトグラフ、木版、アクアテイント、ドライポイントなどの版画の制作も手がけていました。マネは自作の油彩にもとづいたエッチングを制作し、ピサロやルノワールは、友人やコレクターの求めに応じて版画を制作しています。バルビゾン派のミレーやコローも自然と田園の風景を版に刻み、トゥールーズ=ロートレックはリトグラフのポスターによって世紀末のパリを彩りました。この時代の画家は、複数の表現手段を持っていたわけです。

   
     (ポール・ゴーギャン・ノアノア・1921~1922・木版)

 ポール・ゴーギャンの版画は映像も使って詳しく紹介していました。埼玉県立近代美術館では、ゴーギャンの版画連作を収蔵しています。タヒチからパリに戻ったものの、その油彩画の作品は不評だったそうです。そのタヒチ滞在記「ノアノア」という著書を出し、その挿画としてこれらの木版画が使われたものと思われます。

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