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難波潟みじかき葦のふしの間も
逢はでこの世を過ぐしてよとや (伊勢 788~938頃)
当時としては、珍しいことではないが、伊勢は天皇に寵愛されて、皇子を生み、
その後、天皇の御子・敦慶(あつよし)親王との間に娘も生んでいる。
しかし、白洲正子は優れた、孤独な歌人と記している。
20
わびぬれば今はた同じ難波なる
みをつくしても逢はむとぞ思ふ (元良親王 890~943)
この辺で、少々「食傷気味」になっております。なんと恋歌が多いことか。
しかも、自由恋愛の時代ではないか? 民は貧しく暮らしていた時代ではないか?
勝手にしやがれ。
これで、五分の一終了。しばらく休憩します。
ご迷惑とは存じますが、お付き合い下さいませ。