アトランタからは夜行バスでひたすら北上。ひたすらとか言ってもこっちはバス乗って寝てるだけで何もしてませんが、運転手さんご苦労様。どこかでドライバー交代とかしたのかな。
当時住んでいたワシントンDCにはお昼頃到着。そこで降りて家に帰る手ももちろんあったが、乗ったバスがニューヨーク行きでまだ体力もある。パスがあるので行きも帰りもタダで行ける。ならニューヨーク行っちゃおうってことで降りずにそのままで。
ここからは見覚えのある風景。アクシデントと言えば、走っている途中ものすごい音が聞こえたこと。そのあとタイヤが転がってるのが見えた。近くを走っている車がパンクして飛んでしまったのか。乗用車で運転しているところだったらビビったろうが、大船はないが大バスにに乗っているので少し安心。
ニューヨークに着いて街中でホットドッグ食べたかな。何しろこの日はバスに乗ってるだけだけど朝も昼も食べてない。それでもホットドック一個でお腹いっぱいになった。
地下鉄に乗ってメッツのシェイスタジアムへ。ゲームを見るにはお金を惜しまなかったが、外野席ってことはここしか売っていなかったんだろう。
打席は多分パドレスのトニー・グウィン。
この日はアイリッシュデーみたいなイベントで、アイルランド色の帽子をいただいてきた。
この日の試合
チケット
この時代、外野で18ドルとはさすがニューヨークだなぁ。
また例によってバスターミナル近くの怪しげなお店で時間つぶして、メトロが走る時間に着くように夜行バスでDC戻りました。
市内に戻って見たのはこの看板。当時、そして今も仕事では三次元空間で考えるのは日常なので、こんなのが目に入れば写真に撮ってしまう。
次の目的地はマーガレットミッチェルの家。ここが生誕の地だとか。内部は映画で使われた衣装などがあったと思うが、写真禁止で撮れなかった。
チケットが残っている。
語学学校の学生証でも見せたのか、STUDENTのチケットになっている。
コカ・コーラに行ったのは前日だが、なぜか写真はこの日に撮っていたようだ。
チケットはこれ
アトランタ最後は野球でしめた。地下鉄の駅からシャトルバスが出ていてそれに乗って。
ここは前年にアトランタオリンピックのメイン会場となったところ。大会終了後、半年くらいで陸上競技場から野球場にしてしまった。
試合前のサインタイム。
この選手、多分バイレッキーだと思う。なぜなら
サインもらってるから。にもかかわらず、30年近くたったとはいえ「と思う」とは誠に申し訳ない。
しかも誰か忘れないようにBIELECKYと書いてある。さらに失礼なことに、調べてみたらスペルが違ってBIELECKIだった。
試合開始にはまだ時間があって、球場内に今でいうレジェンドたちのユニフォームとか
ウォーレン・スパーン
こちらはエディ・マシューズ
写真館も。上は1992年のナショナルリーグチャンピオンシップ第七戦のサヨナラの瞬間でしょう。走者ブリーム、捕手はラバリエールだったかな。
先発のマダックスがブルペンに入って試合に備える。この10年後にもマダックス先発の試合を見ることになる。
90年代を代表する投手
試合開始
打者はマグリフ
その打席でホームラン
地元ブレーブスの勝ち
この試合の経過
ハンクアーロンの銅像。前年まではこの隣にあった球場を使っていたので、銅像も移動したのか?
フィル・ニークロ
帰りもシャトルバスで地下鉄駅、そしてバスターミナルへ。夜行バスで北に戻りましょう。
今回は大リーグ好きな人じゃないと分かりにくい内容になってしまいました。
アトランタは一泊。二日目はナイトゲームを見て夜行バスで戻る予定だった。
多分これは宿を出て地下鉄の駅に向かうところだろう。PeachTree通りでしょう。アトランタには同名の通りが数多くあると聞いた気がする。
地下鉄乗り場、このころは電車の写真など撮っていなかった。
地下鉄をどこかで降りてバスに乗って行ったのはストーンマウンテン。南北戦争の南軍の司令官だったか。山頂まではロープウェイ。
これがなんとも怖かった。落ちたら完全にアウトですもん。目をつぶりたかったがつぶったらもったいない気もして我慢して彫刻と同じ高さのところで写真を撮った。このあたりから徐々に高所恐怖症が解消されたように思う。まぁ、怖いことはいまでも怖いんだけど。
まさに山のような岩からでも草木は生えるのだ。
頂上に来て、岩に生える草木とこの風景くらいしか写真がないんだから、出店の一つも出せない立地だったんだろう。
下り
公園の平地部分には「風と共に去りぬ」の展示をしている施設があった。室内はフラッシュ禁止だったのでブレている。
Road To Tara っていうんでした。
1991年にアトランタ・ブレーブスがワールドシリーズに登場して、解説のパンチョさんが「アトランタと言えば風と共に去りぬ」と強調されたので、興味を持ち、本を読んで(最後まで行ったんだったかちょっと怪しい)映画も見たのだった。そして6年後にはアトランタまで来てしまった。
ストーンマウンテンを後に
トロントやクーパーズタウンなど北東部から帰ってきてから約一週間後、今度は南部アトランタへ。
前回はニューヨークへ明るいうちに行ってそこから夜行バスだったが、今度は住んでいたDCから夜行バス。
夕食用だったか夜食用だったか、おにぎりを作って行った。ふりかけをまぜて俵型に。
約9か月の滞在だったので、炊飯器を買ってお米も日本食料品店まで行って購入していた。市の中心部のチャイナタウンにもあったかもしれないが、郊外の店で買っていたな。10km買って持って帰る体力があったんだな。
通っていた語学学校では月に一回程度生徒が可能なら食べ物を持ち寄ってお楽しみ会的なイベントがあって、そのときはよくこのおにぎりを持っていきましたね。意外にも早く品切れになる好評だった。
アトランタという地名をよく聞き始めたのが1991年。前年最下位だったアトランタブレーブスがワールドシリーズに登場。これまた前年最下位のミネソタツインズと戦ったのだった。BSでワールドシリーズを中継し始めて数年後のこと、パンチョ伊東さんがこんなのは初めてだと興奮していた。
ちなみにこの米国滞在への出国のパスポートチェックの時、パンチョさんが列の二人前にいたのだった。
脇道にそれたが一晩明けてアトランタ到着。運転手さんお疲れさま。
まずは予約していた宿舎に行った気がする。ホテルではなくゲストハウスのようなところ。共同バスだったのは覚えている。
一休みしてCNNへ。当時実家住まいでケーブルテレビに加入していてCNNで英語のシャワーを浴びていた。今も寝るときはCNNをつけながら寝るスタイル。完全に聞き取れないところが寝付きやすいのかな。
そしてコカ・コーラへ。トリビア的な紹介で、缶コーヒーを売ってるのは日本だけでその商品名はジョージアだ(ここはジョージア州)なんてのがあったの覚えている。
この二つは楽しみにしていて実際に行ったのに写真がない。
アトランタの最初に写真はこれ。
しかしなんなのか分からない。ついこの前亡くなったカーター元大統領の記念館みたいなところ行った記憶があるんだが、それか?
サイクロラマ。南北戦争のジオラマを見たんじゃなかった。
アトランタと言えば「風と共に去りぬ」。マーガレット・ミッチェルのお墓。
キング牧師歴史地区
アトランタ中心地
地下鉄の駅
結構忘れちゃってますね。
アトランタは一泊してもう一日。
クーパーズタウンの一日、帰りのバスもあるから丸一日はないか。土産物屋も博物館と同じくらい見どころがあるので、とても一日では足りないが3年前にも来ているしなんとかしよう。この時は知らないが、6年後となる2003年にも来ることになる。
この年の殿堂入りはネリー・フォックス、トミー・ラソーダ、フィル・ニークロ。あと、ニグロリーグ出身のウィリー・ウエルズ。
ラソーダは野茂がドジャースに入ったときの監督としても日本でも名が通っている。このときも現役監督。
ニークロはナックルボーラー、1979年だったかに来日している。
この時期はユニフォームも重そう
ニグロリーグのコーナー。一週間前にカンザスティティで本格的に見ている。人種差別の時代、黒人は大リーグに入れず独自のリーグでプレイしていた。それがニグロリーグ。サチェル・ペイジという伝説の投手が亡くなったのが1982年、その記事を読んで興味を持った。この滞在時にも本を何冊か買ってなんとか読みましたね。未だに読めてない本もあるが、在宅勤務で時間はある。これから読むか。英語力はダウンしているだろうが、読む力はそれほど衰えていないと思いたいが。
この1997年は黒人初の大リーガー、ジャッキー・ロビンソンがデビューして50年。その特集コーナー。今は、デビューした4月15日は全員が彼の背番号42を付ける。
1951年はウィリー・メイズのザ・キャッチ。メイズは今年亡くなった。
映画のコーナーですかね。バート・ランカスターは「フィールド・オブ・ドリームス」のグラハム医師。「フィールド・オブ・ドリームス」の主演ケビン・コスナーは「さよならゲーム」にも出ている。「さよならゲーム」ではマイナーのホームラン記録を作る捕手だった。
展示されているユニフォームは、「プリティ・リーグ」「メジャー・リーグ」もありますね。真ん中は「フィールド・オブ・ドリームス」か「エイトメン・アウト」か。いずれも1919年のホワイトソックスもの。
もう一つ映画。「フィールド・オブ・ドリームス」にも出ていたJames Earl Jones。この方も今年亡くなった。これはメキシカンリーグを舞台にした映画だったか。
本のコーナー。クラーク・ゲーブルが出ているけど何だったか?
この次の旅行でアトランタ行きます。アトランタと言えばクラーク・ゲーブルの風と共に去りぬですね。
泊まった部屋のレシート
ナイアガラのところでも書いたがたかが数泊で旅行用バッグを持って来た。書きながら何でだったかすぐに思い出せなかったが、ここでお土産をたくさん買うためだった。お土産って全部自分のだけど。
それを持って帰りのバスへ。16:00ころだったかな。この時期は20時くらいまでは明るいので暗くなるのはニューヨーク近くになってから。牧歌的な風景も楽しみましたかね。
ニューヨークに到着。すぐに、住んでいたワシントンDC行きのバスに乗っては着いたときにまだメトロが走っていない。24時過ぎのバスまで待ったはず。例によって怪しい店も含めてうろうろしてたんでしょうね。