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小心者の旅行遍歴
ここの記事へのコメントはここにでも「続」にでも どちらでも

五日目 【シカゴ】

2011-03-27 09:08:55 | '00米国旅行
ダラスからシカゴへ。やたらと早い便だったので5時過ぎにチェックアウトして
シャトルバンを待った。空港へ着くとまだ人はまばら。そんな中、ジャパニーズ
ビジネスマンが数人いた。テキサスで見た最初で最後の日本人。

珍しく飛行機の中で寝てシカゴ着。3年前に泊ったトーキョーホテルに
向かった。空港からのメトロに乗りGRAND駅で降りた。前に泊っているので
多少ながら記憶があるはずだが、雰囲気がどうも違う。確か駅からは近かった
はずなのにどうもおかしい。ここで分かった。降りるべき駅は
レッドラインのGRAND駅なのに、空港からのメトロのブルーラインのGRAND駅で降りてしまったのだ。ガイドブックにはブルーと書いてあったのに

まぁいい。とにかくトーキョーホテル着。相変わらずぼろい。エレベータも手動で
前に泊った時の「運転手」のポマードべっとりじいさんに案内されて部屋へ。

# ちょっと前、「世界のぼろいホテルランキング」みたいなのが
# 発表された。トーキョーホテルもランクインしたと思われたがランク外で
# あった。上には上というか下には下があるものだ。

ジョン・ハンコックシカゴ歴史博物館に行ったようだ。

夕方からはリグレーへ。チケットを取った後、周りを散策。この辺はなぜか
日本料理屋が目立った。古本屋があったので覗いてみたところ2冊買った。
1冊はハルバースタムOctober 1964
「さらばヤンキース」として日本語訳されている。もう一冊は
何だったかな?

試合前、リグレー名物(多分)のじいさんたちのバンドが観客を楽しませてくれて
いた。3年前にもこの人たちいた。06年のシカゴ旅行のときにもいたな。



席はこのへん。





イニングの間にはバンドが楽しませてくれる。一試合で一周する感じ。




ハリー・ケリー



試合終了で帰路へ。ホテルはぼろいがメトロで近いので安心。

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そろそろ通常に

2011-03-23 21:00:57 | 旅行雑記
まだ毎日のように地震があるが、次回からまた00年の旅行を
振り返ることにする。

ここのところすっかり忘れていたが、今年の旅行の航空券を
買ったのだった。また7月中旬に、今度はイタリアに行く
ことにした。オーストリア航空を利用。行きはともかく帰りの便が
やたら早い。確か6:30くらいだったか。そうなると4:30には
空港に行かねばならんということ。その代わり、ウィーンでの乗り継ぎに
余裕があり、ザッハトルテを食べることができそうだ。ともかく、そろそろ
本を買って研究をし始めなければいかん。しかし出発が先週末くらいだったら
キャンセルしていたかもしれん。

その前に、パスポートが切れるんだった。
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徒歩で帰宅

2011-03-11 22:49:45 | 日記
地震怖かった

ちょうど立ってプリンタ出力したものを取りにいくところ。立っていたことも
あり、すぐには気付かず、「地震だ」と言われても「このくらいたまにはあるさ」
と思っていた。すると揺れは強まるばかり。机につかまらなければ立っていられない
ほど。液晶ディスプレイの上の置物は落下し、引き出しが開いたところもあった。

あとはあまり仕事にならず、5:50頃徒歩の帰宅を決意。パソコンを横にして
会社(山手線内ほぼ中央)を出た。4時ころから帰ろうかなと思っていたが、
らしくもなく躊躇してしまった。それでも会社では一番早かったと思う。

さて、家は武蔵野地区。20kmくらいあるはず。不動産屋の住宅情報の徒歩何分
というのは1分80mというのを聞いたことがある。速足なので100m、という
ことは1時間6km。途中疲れることも考慮すると、3~4時間と見積もった。
かばんは会社において、雨が降るとの情報もあったので折りたたみの傘だけもった。

■18:00 退社
まずは靖国通り。思った以上に人が多い。ヘルメットかぶってる人
もいる。
■18:29 コートのボタン外す
体があったまってきた。しかし手は冷たい。コンビニで手袋を買おうとするが
ない。おにぎりやサンドウィッチなどはほぼない。あまりお腹はへっていなかった
のが幸いだ。
■18:31 明治通り
人が多くなった。何しろ新宿が近い。角の靴屋が繁盛していた。
■18:37 甲州街道
新宿駅を越える橋は歩道が狭い。地上の道を駅に向かうべきだった。
■18:43 新宿駅南口
坂を登りきって南口へ。テレビカメラ数台が来ていた。電車待ってる人がいるが
多分徒労に終わるだろう。
■19:03 初台
歩き始めて一時間たって初台。予定通りなのかどうかわからない。
■19:14 幡ヶ谷
■19:21 笹塚
■19:32 環七
ずっと実家に電話をかけていたがつながらず、この辺でようやく母の携帯に
つながった。実は実家に帰る予定だったのだが、当然帰れるわけもない。
家は無事なようだった。
■19:41 井の頭通り
井の頭通りの看板を看板を見て、「井の頭通りか」と独り言。この辺から
独り言を言うようになった。結構これで自分を鼓舞したような気がする。
ここで甲州街道に別れを告げて井の頭通りへ。少し人が減って歩きやすくなった。
■19:45 コンビニ
ミニストップでトイレを借りた。ありがとうございました。助かりました。
■19:57 永福町
この辺のコンビニであったかいコーヒーを買った。これが帰宅途中唯一の飲み物。
■20:27 環八
駅でいえば荻窪。このあと、また歩道が詰まっていたので追い越そうとして
車道に出て少し走った。すると歩くより走る方が足の負担が軽いのに気付いた。
疲れるまで走ることにした。
■20:46 武蔵野市
「武蔵野市」の看板を通り過ぎた。これで安心。このあたりで走るのやめた。
■20:55 吉祥寺
駅前はバス待ちの列で歩きにくい。
■21:20 最寄駅
通っているスポーツクラブの前を通るとビルの点検のために休館。いきつけの
うなぎ屋に行ってみたがもう閉まってた。駅前のとんかつやはこの時間にしては
すいていた。夕食。
駅前はタクシーやバスを待つ人も列を作っていた。電車は当然止まっていた。
「終日禁煙となっております」の駅のアナウンスはなんのため?止められないのか。
■21:40 帰宅
やれやれ。エレベータは止まっていて階段で。オートロックのマンションで
階段からでは通常ドアに鍵がかかっているのだが、大家さんが開けてくれて
いたようだ。両隣の部屋の方も在宅のよう。
液晶テレビと本棚が倒れていた。冷蔵庫の位置もずれていた。ガスが止まって
いるようで風呂入れず。コーヒーも飲めず。テレビの津波の画像を見ると、
このくらいは我慢しようという気になる。
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四日目(3) 【ダラス】

2011-03-09 20:12:02 | '00米国旅行
試合開始が近づいたので席に行った。もう少し記念館も見ておきたかった。

席はかなりいい席。この日は日曜日。大抵はESPN用の
サンデーナイトのゲーム以外はデーゲームなのに、なぜかこの試合はナイトゲーム。もしデーゲームだったら、ケネディツアーをあきらめな
ければならなかったのでありがたい。

まずは国歌斉唱。



メモによると、テキサスの先発はへリングだったらしい。打者はデルガド。


元オリオールズのパルメイロ。テキサスに出戻ったところ。やっぱり
テキサスにいユニフォームって変な感じがする。



パルメイロが出てきたところで近づいて一枚。直後に球場係員に
席に戻るよう注意された


その打席でホームラン!


試合は終盤。タクシーがつかまらないと大変なので、残念ながら球場を
後にする。


センターの入口にあるライアン先生
おばちゃんがフレームから外れてから撮るんだった


幸いタクシーが数台待っていて、待つことはなかった。行きと同様に
ハイウェイを飛ばしてダラスダウンタウンへ。教科書倉庫前の例の
デルタ地帯に戻った時はホッとした。

翌日は朝早い

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四日目(2) 【ダラス】

2011-03-06 08:35:08 | '00米国旅行
ダラスからタクシーで「ボールパーク・イン・アーリントン」へ。
電車・バスで行けない球場は辛い。カンザスシティの場合は、送迎
バスがあった。しかしここはそれもない。ハイウェイと飛ばして
数十分。タクシー代は$30くらいだった。帰りも当然タクシーとなるので
降りるときに乗り場を聞いておいた。

球場の周りはがらんとしている。ホリデイインがあった記憶がある。


90年代に始まった「古くて新しい」球場の建設ラッシュの第二弾が
ここだったか。第一弾はボルティモア。


試合開始の2時間前位に到着し、球場をぶらぶらするつもりだったが
記念館があるというので入ってみた。これが素晴らしい。クーパーズタウンの
野球殿堂の一部が来ているような感じ。おかげでぶらぶらすることも
練習も見れなかった。

二グロリーグや


70~80年代のユニフォームも






テキサスのユニフォームの変遷


レンジャースの前身のワシントン・セネタース


初代監督のテッド・ウィリアムスかな?


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四日目(1) 【ダラス】

2011-03-02 20:55:13 | '00米国旅行
この日はこの旅行の一番の目的だったケネディ暗殺関連の地を訪ねるグレイラインのツアーから始まった。
このツアーは当時は週三回で、それにあわせてスケジュールも組んだのだった。

時差ボケもあり、夜中に一度目覚めて8時に起床。9時集合なので少し
あせった。集合場所がマーケットプレイスということでそれらしいところに行ったがよくわからず少し不安だった。ここじゃないかという駐車場のあたりをうろうろしていると親子が来て、ツアー参加者と思い聞いてみるとやはりそうで、
ここでいいんじゃないかということだった。

しばらくするとバスが到着。バスには先客が二人いた。総勢6名の
ツアーとなった。さて、バスに乗ってどこかに行くのかと思いきや、
まずは教科書倉庫前のデルタ地帯で、ガイドの解説が始まった。

一応一年とはいえアメリカでの生活も経験し、自分への話や興味の
あることなら聞く方の英語はほぼ問題ないと思っていたのだが・・・
テキサスの英語は聞き取りにくい

これ↓は朝のエルム通り。


その後、教科書倉庫内のケネディ暗殺記念館(?)に入った。あとでゆっくり
見ようと思っていたのだが、ツアーに組み込まれているようだった。土産物屋も
あった。

時間が来てバスに戻った。そこからは関連場所を回った。バスの
運転手が要所で説明してくれるのだが、テキサスの英語が聞き取り
にくい(ということにする)。

ティピット巡査が撃たれたらしきところや、オズワルトが住んでいたと
思われる場所を回り、逮捕されたテキサス劇場へ。ここはバスを降りて写真を撮らせてくれた。



市街に戻ってオズワルトがジャック・ルビーに打たれた警察署で一時停止。ここも写真撮ってなかったんだな。

ツアーはお昼に終わった。お昼を食べようとするが、ビジネス街の日曜日で
やはり空いているお店が少ない。

お昼のあとは教科書倉庫の記念館にもう一度ゆっくり入った。今度は
日本語のテープを借りてじっくり見て回った。オズワルトがケネディを
撃ったと言われる部屋にも入れた。残念ながら館内は写真禁止。

記念館を堪能したあとは周辺をうろうろした。


「第二の狙撃者」はこのあたりからケネディを撃ったとみられる。



一度ホテルに戻り、翌朝の空港までのシャトルバンを予約。それから
近くの別のホテルでタクシーを拾い、ダラスのもう一つの目的である
レンジャースのゲームを見に、「ボールパーク・イン・アーリントン」に向かった

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