二日連続の夜行バスでミネアポリスからカンザスシティへ。ミネアポリスではホテルに泊まる予定だったが、適当なホテルがなく夜にもバスがあったので早めに移動することにしたのだった。
席はかなり埋まっていたがよく寝られたと記録されている。
バスは30分遅れて5:30に到着したらしい。なんだったらもう30分遅れても文句言わん時間帯だ。
ホテル探しは電話帳から。そういう時代だったんかな。
名前の通っているHoward JohnsonとHoliday Innを見つけ、HJの方に電話かけたら50ドル+tax。休職中の身にはありがたい価格で即決。
カフェで朝食。
夜は当然カウフマンスタジアム(今はなんていうのかな?)でゲームを見るので店員さんにどうやって行ったらいいのか聞いたら、シャトルバスが出ているということとバスの電話番号を教えてくれた。ご親切にありがとうございます。
この旅行、「地球の歩き方 アメリカ編」から行く都市のページを破いて持ってきたのだが、このカンザスシティは掲載されていなかったので、手持ちはなし。地図もなし。
電話帳でメモした住所と人の声だけが頼り。迷い迷ってホテルへ。朝食の時間帯なのに部屋が空いていてチェックインさせてもらいました。ありがたい。シャワールームへ。一泊半できる感じだったなぁ。
それまでに撮った写真は二枚。
撮った位置は10mくらいしか違わんのじゃないか。それならホテルの外観かバスターミナルでも撮ればいいのに。
6:00にミネアポリスに着いたのはいいが、ゲームは午後から。
朝食を食べたあと、ビルとビルを結ぶ「スカイウォーク」を歩き回ったというか、迷っていたというか。
ミシシッピ。下流に行くと対岸が見えないほど川幅が広くなると聞くが、このあたりはまだ普通の川。
大河ミシシッピに一か所だけ滝というか段差があってそれがミネアポリスにあるという情報があった。それがここか?(うろ覚えなので違ってるかもしれない)
カービー・パケット広場。
メトロドームへ。東京ドームのモデルとなったところで、さすがに似ている。
今では珍しい人工芝。人工芝ブームが終わって徐々に自然芝に戻していく時代だったが、ドームなのでそれもできなかったんだろう。
三塁ランナーはポール・モリター。
ワールドチャンピオンの記念のボード。
1987年と1991年の二回優勝している。デーゲームでフライが上がるとボールが見づらく、また歓声も大きいのでホーム有利といわれる球場、二回ともホームで全勝、ビジターで全敗と極端すぎる。
1991年の優勝メンバー、当時若手のセカンドのナブラックくらいしか残っていなかったかな。
投手はこのアギレラがいたか。
(調べたら一度ボストンに出ていた)
しかし出番なく試合終了。
このゲームの時に買ったプログラム
もう一冊買ってたみたいだ。前年に引退を表明したカービー・パケット。
その裏表紙、3と4が抜けている。パケットの背番号は34。
You may be out of the line-up, but we'll always remember you 34.
連日の夜間移動することになり、バスターミナルへ。次はカンザスシティ。
ミルウォーキーで何もすることなく時間をつぶして夜行バスでミネアポリスへ。
初の夜行バス。しかもグレイハウンドのパス初使用。何かあってはいけないので、窓口で使い方を聞いて早めに列へ。どうやらパスを見せればそのまま乗れるようなことを言っていた。ガイドブックには初回利用時には手続きが必要みたいなことが書いてあったけど、情報が古かったんだろう。
バスの運転手が来て前から一人づつチケットをチェックして乗り込んでいく。自分の番に来てパスを見せて乗り込もうとしたら・・・、何か言ってくる。何か必要なのか?
「窓口で『見せればいい』って言われたんだけど」
というが納得しない。別の運転手のところに一緒に連れていかれて、その運転手が何やら説明してくれて納得したみたい。システムが変わって乗るバスの運転手はそれを知らなかったと推測するが、本当のところはわからない。
無事乗車できて出発
途中休憩があった。午前2時とかそのくらいだろう。こんなところで置いて行かれてはかなわない。バスの運転手、その他乗客をマークして。。。コーヒーくらい飲んだんだったかな?
午前6時にミネアポリス到着。6時じゃまだ街は活動していない。また時間つぶしだ。
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DCで飛行機に乗る際、数日前に友人を見送りに行ったことを書いたが、その友人はミネアポリス経由でサンフランシスコへ飛ぶのだった。
係の人、数回
Many apples?
と聞いてくる。二人して「何?」と顔を見合わせるが、数回して
Minneapolisだ!
と合点した。二人とも英語勉強しにアメリカ来たのにね。