無事、適度なグレードのホテルを見つけて確保した部屋で一休みしたあと観光へ。この日はゲーム観戦の予定はなし。ぶらぶらと。
まずはユニオンステーションに行ってみた(らしい)。お店いっぱい。
ここにもニグロリーグショップが出ていた。
ニグロリーグ伝説のクール・パパ・ベルのお墓がセントルイスにあると知っていたんだったか?お店の人にお墓のロケーションを聞いた記録が残っている。
行こうと思っても当時の情報量でこれだけではいけなかったんだろう。おばさん、聞いといてごめんなさい。
そのあとメトロでゲートウェイアーチへ。その陰か(↓)?
亡くなったパンチョ伊東さん、若かりし日にセントルイスで少年にアイスをおごって川を見ながら一緒にそれを食べたって話をここで思い出した。
この渡米、3月にANAで成田からDCに飛んだのだが、出国の列で二人前がなんとそのパンチョさんだった。無礼ながら後ろからのぞき込んでしまった。チケットはNY行きだったと思う。
これも伝説のスタン・ミュージアル、ザ・マン。
失礼ながら子供の粘土細工みたいなんだが、見る人が見れば芸術的なんだろうか?
西部への入り口。1960年まではセントルイスが一番西にある球団だったというからな。
上がってみたかったが列が長くてあきらめたんだったか。
ゲームもないし、ホテルも確保できたしでこの日は18:30に寝たらしい。早すぎ。
七日目はカンザスシティからセントルイスへの移動。
当時の記録によると、5:30にアラームで起こされて、路線バスでバスターミナルまで行ったとある。起床時刻はともかく、バスで行ったことは全く覚えていない。ホテルに来たときは歩いたはずだが。
カンザスシティとセントルイスはミズーリ州の西端と東端。70号線で結ばれている。1985年のワールドシリーズはこの両者で、70号シリーズみたいな呼ばれ方だったんじゃなかったか?
セントルイスまでは確か4時間ほど。当時、新しい地に着いてまずするのはホテル探し(適度な価格の)。
「地球の歩き方 アメリカ編」から破いて持ってきたセントルイスのページでバスターミナルの位置周辺と照らし合わせるが、どうも合致しない。ターミナルが移動したみたいだな。
自分がどこにいるか分からないまま歩いていたら、Day's Inn発見。ここはそれほど高くないはず・・・と見込んでレセプションで聞いてみると、49ドルで空き部屋ありで決まり!
二日続けてホテルなんて当時としては贅沢というか奮発したというか。