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小心者の旅行遍歴
ここの記事へのコメントはここにでも「続」にでも どちらでも

米国バス旅行(クーパーズタウン)

2024-12-22 16:16:52 | '97 米国滞在時の旅行

クーパーズタウンの一日、帰りのバスもあるから丸一日はないか。土産物屋も博物館と同じくらい見どころがあるので、とても一日では足りないが3年前にも来ているしなんとかしよう。この時は知らないが、6年後となる2003年にも来ることになる

この年の殿堂入りはネリー・フォックス、トミー・ラソーダ、フィル・ニークロ。あと、ニグロリーグ出身のウィリー・ウエルズ。
ラソーダは野茂がドジャースに入ったときの監督としても日本でも名が通っている。このときも現役監督。
ニークロはナックルボーラー、1979年だったかに来日している。


この時期はユニフォームも重そう


ニグロリーグのコーナー。一週間前にカンザスティティで本格的に見ている。人種差別の時代、黒人は大リーグに入れず独自のリーグでプレイしていた。それがニグロリーグ。サチェル・ペイジという伝説の投手が亡くなったのが1982年、その記事を読んで興味を持った。この滞在時にも本を何冊か買ってなんとか読みましたね。未だに読めてない本もあるが、在宅勤務で時間はある。これから読むか。英語力はダウンしているだろうが、読む力はそれほど衰えていないと思いたいが。


この1997年は黒人初の大リーガー、ジャッキー・ロビンソンがデビューして50年。その特集コーナー。今は、デビューした4月15日は全員が彼の背番号42を付ける。


1951年はウィリー・メイズのザ・キャッチ。メイズは今年亡くなった。


映画のコーナーですかね。バート・ランカスターは「フィールド・オブ・ドリームス」のグラハム医師。「フィールド・オブ・ドリームス」の主演ケビン・コスナーは「さよならゲーム」にも出ている。「さよならゲーム」ではマイナーのホームラン記録を作る捕手だった。

展示されているユニフォームは、「プリティ・リーグ」「メジャー・リーグ」もありますね。真ん中は「フィールド・オブ・ドリームス」か「エイトメン・アウト」か。いずれも1919年のホワイトソックスもの。

もう一つ映画。「フィールド・オブ・ドリームス」にも出ていたJames Earl Jones。この方も今年亡くなった。これはメキシカンリーグを舞台にした映画だったか。


本のコーナー。クラーク・ゲーブルが出ているけど何だったか?

この次の旅行でアトランタ行きます。アトランタと言えばクラーク・ゲーブルの風と共に去りぬですね。

泊まった部屋のレシート


ナイアガラのところでも書いたがたかが数泊で旅行用バッグを持って来た。書きながら何でだったかすぐに思い出せなかったが、ここでお土産をたくさん買うためだった。お土産って全部自分のだけど。

それを持って帰りのバスへ。16:00ころだったかな。この時期は20時くらいまでは明るいので暗くなるのはニューヨーク近くになってから。牧歌的な風景も楽しみましたかね。

ニューヨークに到着。すぐに、住んでいたワシントンDC行きのバスに乗っては着いたときにまだメトロが走っていない。24時過ぎのバスまで待ったはず。例によって怪しい店も含めてうろうろしてたんでしょうね。

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米国バス旅行(ナイアガラ~NY~クーパーズタウン)

2024-12-08 18:22:11 | '97 米国滞在時の旅行

ナイアガラからはニューヨークへ。目的地としてはクーパーズタウンという野球殿堂のあるところなのだが、ナイアガラからはバスが出ていない(当時の調査の範囲)。

クーパーズタウンの場所は

この地図でいうと「ニューヨーク州」の「州」の字のあたり。ナイアガラは「トロント」の下の2つの湖の間。拡大できるので興味あったら正確な場所を確認してみてください。如何に遠回りなのか分かる。でもそんな田舎町へのバスなんてそうそうありませんよ。

ナイアガラからのバスは夜行で朝にニューヨークに着く。このバスが混んでいて座れない。自分だけじゃなく、他に5~6人立っていた。グレイハウンドのバスに座れないなんて後にも先にもこの一回のみ。ましてや夜行バスで立っていくのか?

そんな不安の中バスは発車してアメリカに向かった。

すると30分くらいだったか後、バスを乗り換えるように言われた。そのバスは席に余裕があった。
その場所は分からなかったが、今考えるとバッファローだったんじゃないかと思う。

やれやれ、これで座ってニューヨークまで行けますわ。

ニューヨークからの乗り換え、クーパーズタウンへのバスは朝の7時と12時頃と午後の便があった。7時に乗れればこの日も12時過ぎくらいには着くことができ、この日も楽しめる。しかし間に合わなければ到着は夕方だ。夕飯食べて終わりだ。それも宿が取れればの話。トロントと違って都会ではないので、行って泊まるところがないなんてことだってありうる。

NYへ向かう道、明るくなって時刻と標識の距離を照らし合わせると・・・ちょっと無理だ。7時のバスは間に合いそうもない。行くならば12時頃のバスしかない。
(ニューヨークに泊って翌日行くってことも考えたんだったかな?NYだとホテル高いしどうだったか?)

案の定NY着は7時を回った。12時のバスまで時間をつぶそう。

これはNYのテレビ局NBCのスタジオ前。当時は朝はNBCの朝のニュース”TODAY"を見ていたので。


TODAYはMatt LauerとKate Couricですよ。番組中の二人を窓越しに見た記憶がある。


さて、クーパーズタウンの泊まるところを確保しなければ。当時はネット予約なんてできない。遠いところからどうやって探すかというと・・・

日本語の本屋さんですよ。旭屋書店だったかな~?
ここで「地球の歩き方 アメリカの魅力的な街編」(?)の中から探して。もしこの本が前日くらいに売り切れになってたらアウトでしたね。この本のクーパーズタウンのページに出ている宿泊施設の電話番号を覚えて(当時はこのくらいの記憶力があった)、公衆電話へ直行。いかにも20世紀な方法。

電話すると幸いにも部屋があった。予約して、これでクーパーズタウン行き決定。

この3年前の初の海外旅行、どしゃぶりの夜のNYに着いて一泊し、翌朝向かったのがクーパーズタウン。このことの記事をアップするときが来るか。
初回は不安120%だったが、この時は心の余裕もある。バスに乗るとなんとなく記憶がある風景が続く。特にアーミッシュ風の人たちの街は記憶がある。

クーパーズタウン到着。メインストリート沿いを歩いて宿を探す。1Fが土産物屋で2Fを宿泊施設にしているところだった。

寝るところもあって安心したところで夕食。前述の通り、3年前の初海外のときの海外初の夕食をとった中華料理屋さんへ。こんな田舎町で海外初夕食なんて、世界中探しても何人もいないんじゃないか。


この時は食べるものを撮る習慣なんてなかったので、何食べたか覚えてないな。


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米国バス旅行(ナイアガラ)

2024-12-01 16:43:12 | '97 米国滞在時の旅行

米国内からトロントに行ったからにはナイアガラに寄って行かないと。グレイハウンドのパスはカナダ国内でも使えた。

トロントからのバスは結構混んでいる。二席空いている席を探したら一番前の右側しかない。最前席じゃないですか。そこに座ってナイアガラまで約二時間。今ならかぶりつきで外を見るところだが、前々夜の夜行バスが効いていたのか、寝てしまっていた時間が多かった。

そんなもったいない二時間後、ナイアガラのバスターミナル着。ボストンバッグのようなカバンをロッカーに入れて出発、と思いきや何だったか忘れたけど何かをバッグから取り忘れて早くもオープン。もう一度コインを投入。

滝方面に向かっていくと滝から流れてきたような川に沿って。


橋の向こうに滝のしぶきが見える。あの橋が米加をつなぐ橋か。


写真だとそれほどでもないが一目迫力があった。


ナイアガラなんて来る前は、トロントのついでというか話のタネになるくらいのつもりで来たんだが早くも魅了されてきた。





確か落差は100mくらいあるんですよね。


近くのタワーに登ると滝の形がわかる。


さっきの橋を渡って、パスポートを見せて国境を通ってアメリカ側へ。こちらは滝に近づけるツアーがある。


これ。貸してくれる黄色いカッパを着て滝に打たれるか打たれないかのところまで行ける。直に打たれたらひとたまりもないだろうが、滝の量に比例してしぶきの量も相当で、上半身はそれほどでもないが下半身はびしゃびしゃ。カッパが役に立たない。


カメラを出すのも危険そうでパッと出してパッと撮るとこんな。

ズボンも靴下も靴もびしゃびしゃで「これは困った」と思ったが、10分もすれば乾いた記憶。夏のアメリカの日差しと乾燥の力。

あれがさっき登った塔だ。


午後になるときれいな虹


これ以上はっきり大きく見えた虹はないですね。


カナダ側に戻って、今度は滝を裏側から


これが滝の裏側。水の流れも音もすごかった記憶。


これだけじゃ何か分からない


徐々に陽が傾いてきて


お月さまも出てきた。


夕暮れのナイアガラ


来てよかったな~。

この日は朝昼と何を食べたか覚えていないが夜は覚えている。個人でやっているようなチャイニーズレストランがあったのでそこに入ったのだ。近くにいた女性二人が日本人だった。餃子を食べていて、アメリカ来て4か月、とてもおいしそうに見えて食べたくなった。
「すみません、餃子ってどれですか?」
と、メニューから教えてもらって注文したんだった。メインはラーメンだったかチャーハンだったか定食的なものにしたんだったか覚えてないなぁ。

その女性たちとは少し話をした。旅行関係の仕事をされていて、日本から来た旅行者のアテンドもしているとかだった。結構ストレスたまる仕事っぽかったなー。

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米国バス旅行(トロント)

2024-11-25 19:04:45 | '97 米国滞在時の旅行

トロント到着。20世紀の旅行、新しい都市に着いてからまずするのは宿泊地の確保。歩いて探すんだから今思うと大変。探すってのも予約しているホテルを探すんじゃなくて、泊まれそうなレベルを探してフロントで値段聞いてだから。泊まれそうかどうかは建物や外から見える範囲で豪華すぎないかとかを見てたかな。徒歩だしそれほど広い範囲は探せない。あちこちでよくやったもんだ。

フロントで泊まったホテル。


観光開始で見つけたチャーチル首相の銅像。


CNタワーが見える。


CNタワーの下。怖いけど上がってみよう。


オンタリオ湖かな?


夜見に行くスカイドーム

展望台の床には透明なガラスの個所があって、子供が寝そべっている。こっちは怖くてその上にも行けないというのに。このころは相当な高所恐怖症だった。それでも各地のタワーや展望台で鍛えられたせいか、かなり克服できているんじゃないか。それでも吊り橋はまだまだ怖い。

これは記憶がほとんどないんだが、クルージングもしてますね。CNタワーと屋根が閉まっているスカイドームが見える。


さて、球場へ。試合前に球場内を回っているとポール・モリターが目の前に。トロントにも在籍していた。


トロントのシト・ガストン監督のインタビュー。


前日ならクレメンスのピッチングが見れたのだが、このあたりの席では凄さはわからない。


試合はトロントのサヨナラ勝ち


この日のチケット


CNタワーのチケットも残っていた


さらにこんなのも

左がホテル、右がクルージングのレシート。20世紀のチケット、写真にしたら全然わからないが、直によーく見ると大きい文字はかろうじて読めるところがある。なんでもとっておきたかったんだな。

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米国バス旅行(DC-NY-トロント)

2024-11-10 16:05:12 | '97 米国滞在時の旅行

米国バス旅行始めますと言ってから三週間、ようやく始めます。

最初の目的地は国境を越えてカナダのトロント。パスポートを持って出発。
当時住んでいたDCからトロントへのバスは(調べた限りでは)なく、NYを経由して行くことになる。
DCからNYのバスはほぼ一時間おき、所要時間は4~5時間かな。NYからトロントは夜行で。
逆算してDCを出たのはお昼だったはず。何しろそれほど写真も撮っていなくて、撮っていたとしてもデジカメじゃないので時刻が分からない。

バスは一か月パスがあるので乗り放題。

夕方にNYに着いて、トロント行きのバスを待つのだがまだまだ時間がある。このころはもうNYのバスターミナル周辺は地下も含めてある程度地理は把握していた。まだあるのか分からないが、いわゆる18禁的なショップにも堂々と入って時間をつぶしていたかな。この三年前の初渡米時のNYはとにかく怖かったが、三年で変な度胸がついていた。

夜行バスでトロントへ。このバスの中で唯一覚えているのは途中、アメリカ・カナダ国籍以外の人はバスの外でパスポートチェックみたいなのがあったこと。それも午前3時とか4時とかに起こされてだった。

トロントのバスターミナル、どんなだったかもう覚えていないなぁ。


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米国バス旅行2 はじめます

2024-10-20 10:07:24 | '97 米国滞在時の旅行

転職で在宅で仕事をするの(していることにするの)を待っていたかのように新型コロナが世界にまん延して海外に行けなくなり、代わりにそれまで行っていなかった国内に旅行先を求めて、当ブログでもそれについて書いてきた。しかしちょっと飽きてきた。

中国地方旅行の途中ではあるが、遠い昔、若き日のアメリカ滞在の旅行記(というほどではない)を記憶が少しでもあるうちにやっておきたくなった。

以前(三年前)夏休みの一回目の旅行から帰ってきたが、一か月の夏休みはまだある。間を置かずに今度は北へ。

計画表があった。

最初は一週間のつもりだったのか。実際にはこの半分くらいになった。しかもBuffaloは行ってない。

Cooperstownというのは野球殿堂があるところ。1994年の初渡米の最初の目的地で、2003年にも行っている

夏休み一回目の旅行日程も残っていた。

パソコンは持って行ったけどプリンタがなかったので手書き。

シカゴから帰って一日休んでから出発しようとしていた。そうするとトロントで、当時の大エース・クレメンスの登板が見られるはずだった。しかし、旅行のせいか踵が痛く、しっかり歩けない。それでももう一日休んだら元気回復。クレメンスは見れないがトロント行って来よう。今回もバスの一か月のパスが力を発揮する。

では次回から移動開始です。

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九日目(1)【シカゴ】

2021-08-30 19:28:54 | '97 米国滞在時の旅行

旅行メモはセントルイスで終わっている。あとは記憶と写真でつなごう。

セントルイスからの夜行バスでシカゴへ。この間の距離は夜行バスにするにはギリギリかな。早朝にシカゴに着いた。あまり早く着かれても困るんだが。イスタンブール行きの便と同じことだ(早く乗りたい)。

到着時、暗くはないが人の往来は少ない。シカゴを出たときから増えた荷物を持ってどうする?

まずホテルを確保しよう。シカゴには節約旅行者のためのトーキョーホテルがある。バス・メトロも走っていた時間帯だとは思うが、どれに乗ればいいのかもわからないので歩いて歩いて。

到着して予約だけでも取っとこうと思ったら、チェックインさせてくれた。まだ朝食の時間帯なのにありがたい。シャワーも浴びて。カンザスシティに続いて、一泊なのに一泊半のような感じ。

そのあと軽く仮眠でもしたのかな。何したのかまったく覚えていない。

午後は一週間前と同様にリグレーフィールドへ。大抵は一週間おきにホームとロードを繰り返すと思うんだが、カブスは二週連続ホームだったか。多分シカゴのもう一つ、ホワイトソックスは連続ロードだったのかもしれない。

グレッグ・ボーン?


ハリー・ケリー


アナウンサーだけど球団プログラムの表紙を飾るほどの有名人。

翌年のシーズン前に亡くなったのだった。

リッキー・ヘンダーソン


これは誰だったか?自信がない。


ケン・カミニティ


近づいてきて子供たちにサインしているので、ついでにしてもらった。

あとで誰か忘れないようにメモしておいたんだが、スペル間違ってる
正しくはCAMINITI
この人もこの数年後に亡くなった。まだ若いのに。このころはあまりルールが確立されていなかった筋肉増強剤の影響とも言われた。

バッターはカブスの至宝、ライン・サンドバーグ。この日か前日にこの年限りでの引退を発表したんじゃなかったか。






これがトーキョーホテル

ここに泊まるときはいつも15階くらいだった。手動エレベータで、手慣れたじいさんが操作してくれる。外には非常階段があって、ちょっと出てみたけど怖かったなぁ。

ここに一泊して翌日DCに戻った。シカゴ起点旅行はこれにて終わり。
次は国境越え旅行でございます。

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八日目(2)【セントルイス】(ここはオークランドか?)

2021-07-01 18:10:31 | '97 米国滞在時の旅行

それではこの日のメインのゲーム観戦のためスタジアムへ。

相手はフィラデルフィア。真ん中でこっち向いてるはハドラー(元ヤクルト)かな。この日は一番センターで出場。


マグワイア。この10日くらい前、トレード期限ギリギリでオークランドから移籍。ちょうど体が大きくなる(婉曲表現)途中といったところか。翌年、シーズンの最多ホームランを記録。

マグワイアはやっぱりオークランド時代の方が印象深い。BSでの大リーグ中継が始まったころ活躍していたし。カンセコとのバッシュブラザースが有名。ホームランを打った後、それまでは手を合わせていたのを肘をぶつけ合う方式へ(その写真はコチラ)。コロナで握手の代わりに肘タッチをし始めたとき、真っ先に彼らを思い出した。時代を30年も先取りしていたのか!

試合開始。


初回にマグワイアのホームランが出た。移籍後初ホームラン。レフトポールに当たるホームランだった記憶がある。


これはガイエティかなぁ?


試合も終盤になって席が空いてきて移動したみたい。マギーが代打に出る準備・・・だけど、その前にチェンジになってしまって打席には立てなかった。


試合終了。ダンカン、ランスフォード。


ガイエティ(でしょう、写真撮るくらいだから)を一人はさんで

マグワイア


ラルーサ監督


エカーズリー(出番なし)

・・・ってほとんどオークランドじゃないか!
ラルーサ一家だね。

チケット


試合の結果

プログラム

表紙を飾るのはマット・モリス

内容はやはりニグロリーグを含んでいる


この後バスターミナルへ。

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八日目(1)【セントルイス】(バドワイザー)

2021-06-15 19:33:46 | '97 米国滞在時の旅行

前夜は18:30に寝て、夜中に二度目が覚めたものの6:30まで寝ていたと満足そうに書いてあった。

さて、この日は昼間は適当にぶらぶら、ナイトゲームを見て夜行バスでシカゴへ行く予定。二晩ホテルに泊まったから深夜バスもなんのそのだろう。

昨日はお昼過ぎから自由時間、今日も夕方まで自由時間。当時はそれほど観光にガツガツしてなかったかなぁ。それと情報の少なさ。どこ行きたいってのも少なかった気がする。

なもんで、朝もテレビなんぞ見てゆっくりしてチェックアウト。見たのはESPN のSportsCenter。これは何年か前までスカパーで放送してくれていたのだが、なくなってしまった。最後の「Did you know」のコーナーが好きだった。

SportsCenterでよく覚えているのは、2005年、50日かけてアメリカ50州の特集をやったのだが、最後がニューオリンズ。それに合わせるかのようにハリケーン カトリーナが来てしまって放送できなかったこと(ちょっと記憶違いがあるかも)。

ホテルを出てバスターミナルへ。ロッカーに荷物を預けよう。

リュック一つで出た旅行だったが、いろいろ持ち物が増えてきた。幸い、二番目の地ミルウォーキーでのゲームでプロモーションがあって、バッグをいただいていた。今日使わないものをこいつに入れてロッカーへ。

結構、プロモーションやっていて、Tシャツやらタオルやら帽子やらいただきましたね。

当時の英語のメモ(行動履歴)を見ても要領を得ない。あっち行ったりこっち行ったり。

ちゃんと目的地まで行ったのがバドワイザー。


ツアーで工場見学


最後はビールの試飲。

普段はビールなんて飲まないんだが、せっかく来たからには一杯いただいて帰ろう。だったらその一杯を写真に撮っておけと当時の自分に言いたい。

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七日目(2)【セントルイス】

2021-05-31 19:41:43 | '97 米国滞在時の旅行

無事、適度なグレードのホテルを見つけて確保した部屋で一休みしたあと観光へ。この日はゲーム観戦の予定はなし。ぶらぶらと。

まずはユニオンステーションに行ってみた(らしい)。お店いっぱい。

ここにもニグロリーグショップが出ていた。

ニグロリーグ伝説のクール・パパ・ベルのお墓がセントルイスにあると知っていたんだったか?お店の人にお墓のロケーションを聞いた記録が残っている。

行こうと思っても当時の情報量でこれだけではいけなかったんだろう。おばさん、聞いといてごめんなさい。

そのあとメトロでゲートウェイアーチへ。その陰か(↓)?


亡くなったパンチョ伊東さん、若かりし日にセントルイスで少年にアイスをおごって川を見ながら一緒にそれを食べたって話をここで思い出した。

この渡米、3月にANAで成田からDCに飛んだのだが、出国の列で二人前がなんとそのパンチョさんだった。無礼ながら後ろからのぞき込んでしまった。チケットはNY行きだったと思う。

これも伝説のスタン・ミュージアル、ザ・マン。

失礼ながら子供の粘土細工みたいなんだが、見る人が見れば芸術的なんだろうか?

西部への入り口。1960年まではセントルイスが一番西にある球団だったというからな。

上がってみたかったが列が長くてあきらめたんだったか。





ゲームもないし、ホテルも確保できたしでこの日は18:30に寝たらしい。早すぎ。

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