クーパーズタウンの一日、帰りのバスもあるから丸一日はないか。土産物屋も博物館と同じくらい見どころがあるので、とても一日では足りないが3年前にも来ているしなんとかしよう。この時は知らないが、6年後となる2003年にも来ることになる。
この年の殿堂入りはネリー・フォックス、トミー・ラソーダ、フィル・ニークロ。あと、ニグロリーグ出身のウィリー・ウエルズ。
ラソーダは野茂がドジャースに入ったときの監督としても日本でも名が通っている。このときも現役監督。
ニークロはナックルボーラー、1979年だったかに来日している。
この時期はユニフォームも重そう
ニグロリーグのコーナー。一週間前にカンザスティティで本格的に見ている。人種差別の時代、黒人は大リーグに入れず独自のリーグでプレイしていた。それがニグロリーグ。サチェル・ペイジという伝説の投手が亡くなったのが1982年、その記事を読んで興味を持った。この滞在時にも本を何冊か買ってなんとか読みましたね。未だに読めてない本もあるが、在宅勤務で時間はある。これから読むか。英語力はダウンしているだろうが、読む力はそれほど衰えていないと思いたいが。
この1997年は黒人初の大リーガー、ジャッキー・ロビンソンがデビューして50年。その特集コーナー。今は、デビューした4月15日は全員が彼の背番号42を付ける。
1951年はウィリー・メイズのザ・キャッチ。メイズは今年亡くなった。
映画のコーナーですかね。バート・ランカスターは「フィールド・オブ・ドリームス」のグラハム医師。「フィールド・オブ・ドリームス」の主演ケビン・コスナーは「さよならゲーム」にも出ている。「さよならゲーム」ではマイナーのホームラン記録を作る捕手だった。
展示されているユニフォームは、「プリティ・リーグ」「メジャー・リーグ」もありますね。真ん中は「フィールド・オブ・ドリームス」か「エイトメン・アウト」か。いずれも1919年のホワイトソックスもの。
もう一つ映画。「フィールド・オブ・ドリームス」にも出ていたJames Earl Jones。この方も今年亡くなった。これはメキシカンリーグを舞台にした映画だったか。
本のコーナー。クラーク・ゲーブルが出ているけど何だったか?
この次の旅行でアトランタ行きます。アトランタと言えばクラーク・ゲーブルの風と共に去りぬですね。
泊まった部屋のレシート
ナイアガラのところでも書いたがたかが数泊で旅行用バッグを持って来た。書きながら何でだったかすぐに思い出せなかったが、ここでお土産をたくさん買うためだった。お土産って全部自分のだけど。
それを持って帰りのバスへ。16:00ころだったかな。この時期は20時くらいまでは明るいので暗くなるのはニューヨーク近くになってから。牧歌的な風景も楽しみましたかね。
ニューヨークに到着。すぐに、住んでいたワシントンDC行きのバスに乗っては着いたときにまだメトロが走っていない。24時過ぎのバスまで待ったはず。例によって怪しい店も含めてうろうろしてたんでしょうね。
ナイアガラからはニューヨークへ。目的地としてはクーパーズタウンという野球殿堂のあるところなのだが、ナイアガラからはバスが出ていない(当時の調査の範囲)。
クーパーズタウンの場所は
この地図でいうと「ニューヨーク州」の「州」の字のあたり。ナイアガラは「トロント」の下の2つの湖の間。拡大できるので興味あったら正確な場所を確認してみてください。如何に遠回りなのか分かる。でもそんな田舎町へのバスなんてそうそうありませんよ。
ナイアガラからのバスは夜行で朝にニューヨークに着く。このバスが混んでいて座れない。自分だけじゃなく、他に5~6人立っていた。グレイハウンドのバスに座れないなんて後にも先にもこの一回のみ。ましてや夜行バスで立っていくのか?
そんな不安の中バスは発車してアメリカに向かった。
すると30分くらいだったか後、バスを乗り換えるように言われた。そのバスは席に余裕があった。
その場所は分からなかったが、今考えるとバッファローだったんじゃないかと思う。
やれやれ、これで座ってニューヨークまで行けますわ。
ニューヨークからの乗り換え、クーパーズタウンへのバスは朝の7時と12時頃と午後の便があった。7時に乗れればこの日も12時過ぎくらいには着くことができ、この日も楽しめる。しかし間に合わなければ到着は夕方だ。夕飯食べて終わりだ。それも宿が取れればの話。トロントと違って都会ではないので、行って泊まるところがないなんてことだってありうる。
NYへ向かう道、明るくなって時刻と標識の距離を照らし合わせると・・・ちょっと無理だ。7時のバスは間に合いそうもない。行くならば12時頃のバスしかない。
(ニューヨークに泊って翌日行くってことも考えたんだったかな?NYだとホテル高いしどうだったか?)
案の定NY着は7時を回った。12時のバスまで時間をつぶそう。
これはNYのテレビ局NBCのスタジオ前。当時は朝はNBCの朝のニュース”TODAY"を見ていたので。
TODAYはMatt LauerとKate Couricですよ。番組中の二人を窓越しに見た記憶がある。
さて、クーパーズタウンの泊まるところを確保しなければ。当時はネット予約なんてできない。遠いところからどうやって探すかというと・・・
日本語の本屋さんですよ。旭屋書店だったかな~?
ここで「地球の歩き方 アメリカの魅力的な街編」(?)の中から探して。もしこの本が前日くらいに売り切れになってたらアウトでしたね。この本のクーパーズタウンのページに出ている宿泊施設の電話番号を覚えて(当時はこのくらいの記憶力があった)、公衆電話へ直行。いかにも20世紀な方法。
電話すると幸いにも部屋があった。予約して、これでクーパーズタウン行き決定。
この3年前の初の海外旅行、どしゃぶりの夜のNYに着いて一泊し、翌朝向かったのがクーパーズタウン。このことの記事をアップするときが来るか。
初回は不安120%だったが、この時は心の余裕もある。バスに乗るとなんとなく記憶がある風景が続く。特にアーミッシュ風の人たちの街は記憶がある。
クーパーズタウン到着。メインストリート沿いを歩いて宿を探す。1Fが土産物屋で2Fを宿泊施設にしているところだった。
寝るところもあって安心したところで夕食。前述の通り、3年前の初海外のときの海外初の夕食をとった中華料理屋さんへ。こんな田舎町で海外初夕食なんて、世界中探しても何人もいないんじゃないか。
この時は食べるものを撮る習慣なんてなかったので、何食べたか覚えてないな。
米国内からトロントに行ったからにはナイアガラに寄って行かないと。グレイハウンドのパスはカナダ国内でも使えた。
トロントからのバスは結構混んでいる。二席空いている席を探したら一番前の右側しかない。最前席じゃないですか。そこに座ってナイアガラまで約二時間。今ならかぶりつきで外を見るところだが、前々夜の夜行バスが効いていたのか、寝てしまっていた時間が多かった。
そんなもったいない二時間後、ナイアガラのバスターミナル着。ボストンバッグのようなカバンをロッカーに入れて出発、と思いきや何だったか忘れたけど何かをバッグから取り忘れて早くもオープン。もう一度コインを投入。
滝方面に向かっていくと滝から流れてきたような川に沿って。
橋の向こうに滝のしぶきが見える。あの橋が米加をつなぐ橋か。
写真だとそれほどでもないが一目迫力があった。
ナイアガラなんて来る前は、トロントのついでというか話のタネになるくらいのつもりで来たんだが早くも魅了されてきた。
確か落差は100mくらいあるんですよね。
近くのタワーに登ると滝の形がわかる。
さっきの橋を渡って、パスポートを見せて国境を通ってアメリカ側へ。こちらは滝に近づけるツアーがある。
これ。貸してくれる黄色いカッパを着て滝に打たれるか打たれないかのところまで行ける。直に打たれたらひとたまりもないだろうが、滝の量に比例してしぶきの量も相当で、上半身はそれほどでもないが下半身はびしゃびしゃ。カッパが役に立たない。
カメラを出すのも危険そうでパッと出してパッと撮るとこんな。
ズボンも靴下も靴もびしゃびしゃで「これは困った」と思ったが、10分もすれば乾いた記憶。夏のアメリカの日差しと乾燥の力。
あれがさっき登った塔だ。
午後になるときれいな虹
これ以上はっきり大きく見えた虹はないですね。
カナダ側に戻って、今度は滝を裏側から
これが滝の裏側。水の流れも音もすごかった記憶。
これだけじゃ何か分からない
徐々に陽が傾いてきて
お月さまも出てきた。
夕暮れのナイアガラ
来てよかったな~。
この日は朝昼と何を食べたか覚えていないが夜は覚えている。個人でやっているようなチャイニーズレストランがあったのでそこに入ったのだ。近くにいた女性二人が日本人だった。餃子を食べていて、アメリカ来て4か月、とてもおいしそうに見えて食べたくなった。
「すみません、餃子ってどれですか?」
と、メニューから教えてもらって注文したんだった。メインはラーメンだったかチャーハンだったか定食的なものにしたんだったか覚えてないなぁ。
その女性たちとは少し話をした。旅行関係の仕事をされていて、日本から来た旅行者のアテンドもしているとかだった。結構ストレスたまる仕事っぽかったなー。