#人間 = #光に顔を向ける存在 + #光を仰ぎ見る存在 =#創造の予定#私 #奇妙な知的盲点 #キリスト #人生の実験 インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 人類の希望の源 やり取りこそすべて All you need i......
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
Toys and Reasons 『おもちゃ と 賢慮』 第三部。p.123の,第2パラグラフの最後の4行。
ほぼ一年ぶりの改訳です。
今朝は,その続きで,第3パラグラフの最初から
心の中垣についての見方のいくつか
…
…この受胎告知の祭壇画も,また,不思議な光を目の当たりにして跪く1人の人間を示していますし,東を向くことは,人が育つ世界では「(いつも闇の中から現れる)不思議な光であるキリストを振り向くことになっている」ことを意味すること思い出しますでしょ。人が育つところでは,夜の闇は必ず黄昏時に開けますからね。
子どもたちが,お互いに相手を立て合う(大切にし合う)ことに本気になることと,聖書の神様の約束の約束に繋がる見通しを持つことは、人間らしい意識には,端っこに追いやられるのではなしに,人間が育つ場の中心である必要がありますし,無視されるのではなしに,新しい私であるキリストを生きる中で選ばれたい,という最深欲求があることを示しているとすれば,私どもが確かだと認めなくてはならないのは,キリストを生み出す聖母マリアの子宮こそが,天下のど真ん中にあるものだ,ということになりますによ。それは,実際には,子どもを身ごもったお母さんの子宮と,新たに生まれる赤ちゃんのひとりびとりが,天下のど真ん中にあるのと同じです。
身ごもったお母さんと赤ちゃんが,天下の中心になる。
世の中が実際そうなっているでしょうか?
二ッホンの場合は,どうでしょうか?
私どもは,新しい人である赤ちゃんと,新しい人を生み出す生みの苦しみ,あるいは,自分を空っぽにして相手に心響かせる心を,大切にしているでしょうか?