今晩は、タイトルが「?」だったかもしれませんが、「自由」を考えます。私が敬愛してやまない、加藤周一さんが「基本的人権の中で一番大事」だ、という「自由」です。
最近の当ブログの読者の皆さんであれば、東芝にしろ、西武学園にしろ、上司の意向に「NO」と言わないことが、言えないと思っていることが、組織の腐敗を招くことが分かりましたよね。いつの間にか、組織や上司が「神」の座に、チャッカリ着いちゃった訳ですね。これが「偶像崇拝」です。神でないものを神とする時、この世の中で、最もおぞましい、最も恐ろしいケダモノが出現するんです。
昨年でしたかね、新宿ピカデリーで映画「紙の月」を見ました。讃美歌が流れる横領事件の映画だったからかもしれません。そのラストシーンは印象的でしたね。タイか何処かの市場に消えていく、宮沢りえさん演じる主人公。その清々しい感じが印象に残ります。この映画は、銀行の横領事件を題材にしながらも、「自由」を考えさせるものでしたね。それはこのブログでも繰り返し申し上げている通り、「自由」こそ基本的人権の中でも根源的に「人間にとって正しいこと」=human right ヒューマン・ライトです。横領はもちろん、刑事犯罪です。「業務上横領」が疑われている、西武学園の佐藤仁美さんと同じです。もちろん「やっちゃダメ」なことです。しかし、「自由」を考える上では、非常に意味が深いと私は考えます。
この映画、繰り返し流れてくる讃美歌がありました。私の大好きな讃美歌の1つです。クリスマスシーズンになると、日本のテレビでも流れてきますし、多くの人が知っている讃美歌でしょう。讃美歌108番「荒野の果てに」です。「グロ〜〜〜リア」と「ロ」を伸ばして歌う歌詞が印象的な、美しい讃美歌です。その意味は「栄光あれ」というお祈りです。その部分はラテン語で「 Gloria in excelsis Deo 」グローリア・イン・エクセルシス・デオ で、その意味することは「栄光あれ! 一番高いところにおられる神様に」ということです。神は人間の「自由」を考える時に、エッセンシャル、なくてはならないことですね。
横領と神様は似ています。こう言ったら、真面目人間が多いクリスチャンには怒られちゃうでしょうね。ゴメンナサイね。でも、本当なんですね。どこが似ているのか? と言いますとね、“ 組織やこの世を≪超越≫している ” という点です。横領することも、神様を信頼することも、“ 組織やこの世を≪超越≫している ”点で、同じです。日本のように同調圧力が猛烈な社会ですとね、“ 組織やこの世を≪超越≫している ”ことは、悉く「悪」と見なされます。ですから、横領も神様を信頼することも、「悪」とされがちです。第二次世界大戦に至る過程で、思想秘密警察である特高が、クリスチャンを付け狙い、当時の一般の人も、クリスチャンを目の敵にした訳ですね。
でもどうでしょう。別に横領してください、と申し上げているんじゃないですね。私が申し上げたいのはね、組織やこの世を≪超越≫して生きることの大切さなんですね。≪超越≫は日頃無意識に囚われている「自分の心の壁」を乗り越えることですし、同時に、組織や世間が、無意識に設けている「常識の壁」を乗り越えることです。すなわち、≪超越≫とは、心と世間が無意識に設けている≪壁を乗り越える自由≫=≪自由≫だということですね。
映画「紙の月」のラストシーン。市場の奥に消えていく宮沢りえさんの顔が、清々しいと思ったのは、すぐに言葉にできたわけじゃぁないけれども、いま言葉にするとすれば、「自分の心にあった壁や、組織やこの世にある常識という壁を≪超越≫するって、素敵ですよ」ということですね。
もちろん、この印象自体、私のいつも考えていることを「投影」しているだけなのかもしれませんよね。でもね、東芝や西武学園の事件と、その解決策として久保利英明弁護士が示してくださっている言葉を思い出すとき、理性的に考えても
「自分の心にあった壁や、組織やこの世にある常識という壁を≪超越≫するって、素敵ですよ」
ですね。
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