ロバートの積み木に対する見立て見当識がどんなものなのか、その選択が人生の選択にも等しいことがお分かりいただけただろうと思います。しかし、そんなことは、それこそ意識しないで生きている方が、大多数ではないでしょ...
ここは、見当識(定位)と呼ばれている心の傾きについて、エリクソンがロバートの積み木遊びを使って、私どもに教えてくれているところです。見当識(定位)と言ったら、難しい専門用語でしょう? そのもともとの英語を知ると、少し感じが分かってきます。それはorientation オリエンテーション、もともとの意味は「東向き」、東洋のことをオリエント(東側)といった言葉と親戚です。そう、心には向きがあるのです。「どっちからきて、どっち行くのか?」というわけです。それは、「何のために生まれて、何をして生きるのか?」とアンパンマンが問いかける、根源的な問いと、その答えを得たいとする最深欲求ときわめて関係が深い。
ロバートは自分の「心の向き」を、積み木遊びにして見せます。もちろん、ロバートにはその自覚は全くありません。でも、ロバートは「とっても手応えがある、おもしろい遊びをしている」という感じはきっとあるだろうと思います。ですから、子どもが「面白い」、「楽しい」と感じる遊びが大事になるのです。積み木遊びでなくても、子どもが「面白い」、「楽しい」と感じている遊びには、子どもの「心の傾き」が現れやすく、しかも、それを建設的な方向で、発達的に再生することができるのです。
ロバートは、自分が「価値がない」と教えられ、また、実際に感じていることを、積み木遊びの「下」の方に配置するはずです。ヘビに代表される「地を這うもの」は、ロバートに限らず、「アダムとエバ」の物語以来、「価値がない」ものを引き受けるシンボルです。この「価値がない」と思っていたものに「価値がある」と分かること、「価値あるもの」と結びついていると分かる、気づくプロセスが、積み木遊びに限らず、子どもが「面白い」、「楽しい」と感じている遊びの、「世にも不思議な業」なのです。
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