ルターが説教という自己表現の方法を手にしたことは、人びとの救いに役立つばかりではなくて、ルター自身の救いにも役立ちました。
Young Man Luther 『青年ルター』p206のブランクから。
この後は、ルターが最初にした講義のテーマを一つ一つ、精神分析の洞察で議論していきます。神学の素養のある読者諸兄姉なら、ルターが哲学から神学を救ったのは、神学を心理学に付け込ませるだけのためだったのかどうかを、知りたいと思うところでしょう。かたや、精神分析家たちは、私がルターの神様のために、魂という仕組みの中に場所を確保しようとしているじゃぁないの、と疑うかもしれませんね。しかしですね、私の目的は、もっと慎み深いものなんですね。すなわち、私が示そうとしていることは、ルターが人間の条件を再定義したことが、心の中で起こったダイナミックな変化と、見事なくらい形が似ている、ということなんですね。その心の変化は、クライエントが心の病から回復する時に、臨床心理士が見つけ出すクライアントの心の変化と同じなんですね。
ルターの回心は、心の病で苦しんでいる人が、その苦しみから回復する過程と、同じでした。回心と、心の病からの快復が、同じものだ、というのは、実に面白いですね。だって、心の病は、ある意味では、「何物も信じられません」ということと同じだということになるからですよ。
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