小学生は小さな哲学者。心理臨床をしていますとね、そう感じることが、度々あるんですね。でも小学生ですから、難しい哲学用語を使う訳ではありません。むしろ、国語の力が弱い子どもでさえ、実に深い哲学的な問いを問う場合が少なくありません。
守秘義務がありますから、ケースのプライバシーに渡る部分を記す訳には参りません。しかし、ケースをデフォルメしながら、小学生が投げかける問いが、実に深い実存的な問いを抱えて生きていることを、皆さんと分かち合いたいと思います。
ホント? と思う人は、アンパンマンと、やませかたしさんのことを、思い出していただきたいと思います。アンパンマンマーチの歌詞は、その出だしは
「そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも
何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君は行くんだ微笑んで。」
ですもんね。やなせさんによると、大人たちはアンパンマンの価値も、アンパンマンマーチの良さも認めませんでした。そのどちらも最初に認めたのが、2歳、3歳の子どもたちでした。2歳、3歳の子どもは、実存的な問いの大事さを、理性的にではなくて、直感的に確信してんですね。
前置きが少し長くなりましたね。まあ、回りくどいのが私の常でしたね。今日は、2人の小学5年生と小学6年生(いずれも私が関わった当時)をデフォルメしつつ、ご紹介しましょう。
5年生は、もともと大人しい男の子。学校には来ていましたが、日々の夜更かしのためか、授業中居眠りしていることが多く、勉強も、スポーツも、人付き合いも苦手。クラスで一番目立たない子どもです。その子とコラージュ(切り貼り絵遊び)療法をしたのは、1年に満ちません。このコラージュでその男の子が表現したのが「一人」=「自由」+「孤独」という実存哲学的な命題でしたね。「えっ、ウソ?」。そんな声が聴こえてきそう。その子は、コラージュ作品を前にして、「1人でいること」が、「嬉しいような」、それでいて「寂しいような」感じがする、と言ったのです。これこそ、1人であることの「自由と孤独」という実存的課題、「一人であること」アローンalone が、「寂しさ」ロンリネスlonelinessであると同時に、「豊かさ」ソリチュードsolitudeでもある、ということですね。
もう1つの6年生は、コラージュ作品のタイトルからの自由連想法です。タイトルは「丸いケーキ」です。この6年生は、学校では比較的おとなしそうですが、学校外ではちょっと危険なつながりを求めがちでした。「丸い」から連想したのが、さきの5年生と同じ「一人」は「楽しく、寂しい」ということ。「ケーキ」から連想したのが、「命」「目当て」です。「生きる目的」、すなわち、アンパンマンマーチの「何の為に生まれて 何をして生きるのか / 答えられないなんて そんなのは嫌だ!」ですね。
別に、小学生だから、難しい言葉を言いません。でもね、この2人だけではなくて、小学生の心の奥底には、根源的で、実存的な問いがいつもあります。「何の為に生まれて 何をして生きるのか / 答えられないなんて そんなのは嫌だ!」。なぜなら、その問いに答えたい、という願いこそ、あらゆる人が心の奥底に隠している根源的欲求たがらです。
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