肉体的な女性性を肯定するような女神の絵。この若い女性の患者がその絵を見てショックを受けたのは、自分の肉体的な女性性を肯定して、そういう自分を見せたい気持ちもあるのですが、それを見せても大丈夫か、不安に思う気持ちもある、そういう矛盾した気持ちを併せ持っていたのですね。それを、エリクソンの力を借りて、精神分析の場で、まとまりのあるものとして生きなおしていくのですね。
そこで、私どもは、露骨なくらい「古典的な」ケースの初回夢の中に、赤ちゃんの頃と青年期になってからのトラウマを、精神分析の場とやり取りする中で、見て分かることができました。こんなにすぐに明かされる明確さが並び立つことは、もちろん、稀です。初回夢は、長い治療期間にわたって、多くのはっきりしない細部から、組み立て直なくてはならない方が、普通です。この例によって、「なるほど本当だな」と感じるかもしれないことがあるとすれば、それは、これまで述べてきたように、この患者が次々に湧き出すイメージに集中してもらう時、この治療が強調するのは、1つの「自然な」自己治癒の過程である、ということです。それをバートラム・レヴィンは次のように定式化しました。
絵のある過去を再体験することであればすべてその再体験は、その絵のある過去が、夢の絵でも、映画の記憶でも、抑圧してきた人生の足跡に対する新たな記憶などでも、それだけハッキリと、願いが実現し、防衛反応が形成されることに加えて、説明して直そうと試みるのも同然です。
フロイトは、さらに次の様にさえ主張しました。
患者たちのいろんな幻想は、私にとっても、解釈も同然です。この解釈は、私どもが精神分析の治療をしているときに作り上げるものですが、説明し直そうと試みることなのです。
受身で経験したことを能動的に再体験することって、実に素晴らしいことですね。なぜって、その能動的再体験が治療そのものになるからです。さらには、イメージ、絵のある記憶、幻想でさえ、治療を試みるのも同然と言います。これは、「見ること」がいかに治療的かを物語ることでしょう!赤ちゃんの時、視覚が様々な感覚を統合する主要な感覚器官であったのと同様に、生き切れなかった過去を今の人生と統合するのにも、「見ること」・イメージが主要な役割を果たすのです。つまり、 「よく見ること」が、生き切れなかった過去と、今、そして未来を繋ぐ自己治癒の過程をもたらしてくれるのです。なぜなんでしょう?
じつに、人生は不思議(wonder)に満ちて(full)いますね。ですから、♪ 生きて(生かされて)るって素晴らしい! What a wonderful world ♪ とルイ・アームストロングは歌うのですね。
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