エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

的外れの生き方、してません?

2015-11-14 08:59:18 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
機械仕掛けの人間
  現在のシステムの力は、個人の力を圧倒しますでしょ。意識的に、同調主義に傾かない心の姿勢が必要です。 p122の12行目途中から。 &nb...
 

 

 

 光に向かって、生きてるかなぁ?

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p91の、第2パラグラフの11行目から。

 

 

 

 

 

 世界に対するいろんなイメージについて研究することは、どんなものでも、ひとりびとりの≪私≫が、根源的な心の時空の中で光を目指さなくっちゃならないことや、お互いに見通しを一致させていくネットワークをもたらす様になるように進化していくことと、ともに始めなくっちゃね。根源的な心の時空と言うのはね、たとえば、一日を過ごし方、一年の過ごし方、仕事の分担の仕方、自分や集団を≪超越≫する価値を共有する礼拝の分かち合い、のことですし、それは、限界まで、すなわち、K・エリクソン(1966)(訳注:エリクソンの息子のカイで、エール大社会学部教授。その著作『あぶれピューリタン逸脱の社会学』から。エリクソンが『エール大学評論』に著作を記したのは、息子のカイの勧めがあったからだ、と言われています)の意味では、「いろんな境界線」まで及びます。この境界線で、「よそ者」や「異物」が始まります。

 

 

 

 

 

 心の時空、その共有などと言われても、ピンと来ないかもしれませんね。「心」のような眼には見えないことを知っても、1円の得にもなりませんからね。損得勘定、「損しない生き方」ばかりの日本人には、基本、縁のない話なのかもしれません。でも、自分自身がパニック障害になったり、家族がうつ病にでもなれば、「心って何だろう?」、「心の病気って、どうすりゃ治るの?」と思うやもしれませんよね。

 心には、必ず、向きがあんですね。オリエンテーションと呼ばれます。こころは必ず東向、日出る方向を見るようになっています。すなわち、光を目指してんですね。その向きを確かめるためには、光を目指している心を持つ相手が、少なくとも、1人必要です。

 ゼニ勘定、損得勘定を目指していたら、したがって、それは、見当違い、的外れ、ってわけですね。

 

皆さんも、光向きに向き直してね!

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