やりたくてたまらない礼拝も、いつものにか「お休みしちゃぁ、牧師さん(神父様)にワリィーからさぁ」ってな感じの、日曜礼拝になっちゃいます。
Young Man Luther 『青年ルター』p.226の第3パラグラフから。
1500年の記念祭は、世界中にたくさんの免罪符をバラまく格好の口実になりました。それで稼いだお金は、サンピエトロ大聖堂が完成するのに役立つ、というまふれこみがありましたし、このお御堂は、単にこの世を支配する、ケバケバしい館なのに、神に繋がる拠り所のような顔をしていました。免罪符は、その筋の修道士が一手に引き受けて、銀行員が随行することもありました。その修道士には、宗教を騙るお金が手渡され、サンピエトロ大聖堂を立てるための金だという触れ込み以外につかわれる場合もありました。しかし、ルターは、例によって、免罪符のことは、一言も言いませんでした。ルターが免罪符を批判したのは、自分の町と自分の管区に、サンピエトロ大聖堂建設のためと言って免罪符が来てからでした。
カトリック教会の身勝手な振る舞いは、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちの身勝手な振る舞いに似ています。嘘八百を並べて、金を集めるだけ集めて、その金を飲み食い遊びに使ってたわけですね。西武学園の女校長と同じですね。東京電力のお偉いさんたちやその他もろもろも、アベシンちゃんや、それに接待されているマスコミ各社のお偉いさんたちも同じでしょう。
ルターは、しかし、それを批判するのに、非常に慎重でした。中世カトリック教会を批判しだしたのは、確かな証拠を掴んでからでした。
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