今宵も、加藤周一さんの言葉に学びたいと思います。『日本人とは何か』(講談社学術文庫)から。
学生時代及びその後の一定の年齢の時代に、多くの青年が知的活動に従い、一見知識人の大群を作っているように見える。しかし、その大部分は、しばらくすると特殊な専門領域での仕事以外に、その知的活動をほとんど全面的に停止する。その根本的な理由は、…若い時代の活動そのものが、つけ刃であり、なま半可であり、何一つ確かなものを捉えていなかったという事実そのものに他ならない。…変わるとすれば、ほんとうの意味の教育または一種の回信によって変わるので、学生同士または会社員同士のつき合いなどで変るものではない。
制度でも、手続きでも、間違いや不足があれば、変えていくのが主権在民の考え方です。しかし、それは、主権者として、子どもの頃から、制度や手続きを変える練習をしていて初めてできるものです。
丸山眞男教授が指定しているように、日本人は制度や手続きを「既製品」のように受動的に受け止めるように、幼い時から飼い馴らされていますから、制度や手続きを変えようとさえしませんね。日本の学校では、ルールや手続きに従うことだけしかやってませんし、それを変える練習をしてませんから、奴隷根性が植え付けられやすい。ですから、制度や手続きはなかなか変わらない感じです。
しかし、それだけではないでしょう。多くの日本人が、ほんとうの意味の教育を受けていないので、「二度生まれ」になっていない、ということが根本にあるからだ、と私は明確に考えますね。
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