エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

半ばインプリンティング、半ば本能的

2015-11-09 07:29:20 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
ギブ・アンド・テイクじゃぁ、人を大事にすることになんない!
  資本主義社会では、商品は直接的に物々交換するのじゃない。あくまでも市場を介して交換されます。 p120の第2パラグラフ。  ...
 

 

 私どもは、現実とは、客観的な事実たげだと思いがち、でも、それは思い違いで、やり取りのある現実や実感のある現実もあります。エリクソンは、英語ではそれを区別して、それぞれ、fact, actuality, realityと区別しています。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p90の、冒頭から。

 

 

 

 

 

 ですから、リアルな感じの現実には、欠くことの出来ない要素がたくさんあります。その要素は全て依存しあっていますが、それは、精神分析の文脈では、「半ば本能において」という話です。そして、この「半ば本能的において」ということは、動物の本能とは対照的に、情緒的なエネルギーが、発達の間は、自我の思うがままになっていますし、出来事が起きて、分かち合う世界において、成長する潜在能力を用いるのに役立ちます。このようにして、その子どもは、名前がついて、大事だと思い、人々と分かち合い、その代わり、そのような、人も自分も大事にする気持ちを教えてくれる、いろんな事実を「大事にする」様になると、言われます。

 

 

 

 

 

 人間にとって、動物の本能に相当するものの中にも、完全に本能と言えないものがありますね。たとえば、インプリンティング。鳥では、これは変更不能で過去に遡ることはできません。愛着も一種のインプリンティングですが、かなりの割合で変更不能で、過去に遡ることに困難はありますが、絶対に変更不能でも、絶対に過去に遡ることが出来ない、という訳ではありません。いわば「半ば本能的なもの」、それが愛着です。

 愛着を変更したり、「親替え」をしたり、「悪い良心」から「良い良心」へ変更するためには、周りの大人と本人の意識的な関わり、働きかけが不可欠ですね。

 

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