良いセラピストは、クライアントになれる人です。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.214の第5パラグラフから。
決定的な問いはこうです。「自分のセラピストは、私がどういう人なのか、PTSDの患者一般が必要としていることではなくて、この私が必要としていることは何かを見つけ出したい、と願っているんだ」と感じますか? ということです。あるいは、「自分は、ある診断基準に載っている一連の症状にぴったりなのか? それとも、自分のセラピストは、自分が実際やっていることを、何故やるのか? 自分が思っていることを、何故思うのか? を見つけ出す時間を取ってくれるのか?」と言う問いです セラピーは、共同作業ですから、自分が自分自身になる探検を、やり取りの中でセラピストも一緒に探検してもらうことです。
何故、自分自身のなることは、そんなに良いことなの? という人もあるかもしれませんよね。それはね、いつも、自分の気持ちが、あっちに行ったり、こっちに来たりしたりして、右往左往してたら、困りますでしょ。「明日は明日の風が吹く」で、今日は課長の顔を立て、明日は係長の顔を立て…、とやってますと、場当たり的になりますから、その時は相手の顔を立てて、「波風立てずに済ませたこと」も、ぶつかり合ったり、矛盾したりする場合だってありますでしょ。だいいち、「腑に落ちない」感じが、人の顔を立てるだけだと、残る場合が圧倒的に多いでしょ。吉本隆明さんが指摘している通りです。それをゴマカシてたら、結局、「騙されました」、「心底には、納得できません」、「本当は不満です」、という感じが残ります。
自分自身になるのは、自分を確かにさせるためです。自分を確かにさせることが、幸せになるための必要不可欠の条件ですよ。
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