2013-08-18 02:31:39 | エリクソンの発達臨床心理
精神分析の場が、お互いに顔を見せないという、視覚の穴を作って、かえって、赤ちゃんの時にお母さんと癒しのやり取りをできなかった時の、恐怖や恥しい怒りを投影することを誘い出す、というのは、実によくできた設定ですね。
なんで、精神分析では、こんなに赤ちゃんの時のお母さんとの関係にこだわるのか?
それはね、赤ちゃんの時のお母さんとの関係が、全ての人間関係の基になっているからなんですね。ふつうは、それすら気づかない。気付かないうちに、「そう言われれば、そうなってる」んですね。
しかも、ふつうは気づくことがありませんから、そっくりそのまんま、棺桶まで行くんですね。それでいて、自分でも気づかない自分を見せられると、腹を立てたり、イライラして、「なんでわがままなのかしらね」などとこぼすんですね。「自分がいちばんわがまま」とも知らずにね。
それじゃぁ、「いい人生だった」と言えるかな?死ぬときに?
そんな喜劇、子どもにとっては悲劇は止めた方が良い、もっと人は建設的に悦んで生きていけるから、そうしませんか? と言うのが、精神分析とあらゆる心理療法のテーゼであり、提案ですね。
よろしくね!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます