エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

子どもの頃に、遊びに値打ちを教えくれた人が、1人いたらいいのになぁ

2015-06-25 07:10:26 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
ぼんやり は 自分の源
   子どもの頃のイメージと世界の見方を変えること 見当識を意識すること  子ど...
 

 

 遊びは、子どもが誰から教えられたわけではないのに、自分を発達させると「知ってる」天与の知恵です。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p50の下から11行目途中から。 

 

 

 

 

発達の視点からみれば、以前提案したことですが、遊びには、autosphere 本人の側面、身体のいろんな感覚で遊ぶという側面1つ、microsphere 小さな側面、おもちゃで遊ぶ側面1つ、それから、macrosphere 大きな側面、人と遊ぶ側面1つ があります。プレイセラピーで大いに役立つのが、おもちゃのある遊びの小さな側面のおかげで、セラピーをする子どもは、危機をはらんだ願いやテーマを、隠さず表現できる、ということを見て知ることですね。この危機をはらんだ願いやテーマは、子どもを不安にすることもありますし、一番意義深いのは、子どもが、突然 play disruption 遊びを止めることです。この遊びが突然止めるのは、目覚めている時に見る不安な夢に相当します。

 

 

 

 

 

 遊びには、三つの側面がある、というのが、エリクソンの提案です。

 私は、子どもの頃、よく遊んだのですが、それでも、相当「お勉強」もするがり勉でした。遊びのことを研究する中で、遊びにこんなに価値があるってことが分かるにつけて、その価値を教えてくれる大人が、子どもの頃一人でもいてくれたなら、と感じています。

 

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