エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

今どきのシキタリ

2014-06-28 20:29:23 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
「攻撃性」の賜物とやり取りの範囲とルールなど
  子どもの時期が厳しく苛酷な時期になりやすいことを意識して、子どもと関わることが大事であることが分かりました。また、遊びの目的が、やり取りをするためであるこ...
 

 イマドキの日本のシキタリ。今日のエリクソンに学ぶのなら、子どもの手を振り払うのがイマドキなのでしょうか?

 というのも、今の日本では、極端に “あそび“ と言う名のゆとりが足りないからです。ですから、子どもが手を伸ばしている時にも、家庭では、母親も父親も、その子どもが伸ばした手をにぎる者がおりません。学校では、学校の先生が大車輪で大忙し。トイレに行く時間さえない。ですから、子どもが手を伸ばしても、その手を取るものがいません。

 「aggredere(「攻撃」を意味するラテン語)の、まず第一の意味は、楽しく陽気なやり取りを求めて、物や人に歩み寄ること」なのに。手を伸ばしているだけなのに。その手を取る大人がいないんです。

 大人に “あそび” がないからです。その手を伸ばすと、子どもは、「心の中では、欲求不満と激しい怒り、恥と「自分は悪い」という気持ちをすぐに経験すること」になります。

 私ども大人は、何のために、この “あそび” と言う名のゆとりをなくしているんでしょうか? こどもが伸ばした手よりも大事なものが、この世の中にあるのでしょうか?

 

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