人を大事にすることが、今の世の中、バラバラです。人を大事にすることは、口にできない相手の願いに応えることから始まるものですね。それは、infant、すなわち、口がfant、きけないin 赤ちゃんの願いに、お...
精神分析の訓練されたセラピストは、クライアントの心模様を、時空を自由に動き回り、自他を自由に行き来しながら、理解する力を手に入れています。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p98の、第2パラグラフから。
しかし、このように、それぞれの人生のサイクルを自由に動き回りながら、セラピストとクライアントの2人の、社会的な傾向や歴史的な傾向は相対的であっても、セラピストが解釈する考えも、精神分析の過去と今の概念と共に移っていきます。もちろん、男であれ、女であれ、教育分析をしてくれた人と、その他影響を受けた人達や流派との間にある、セラピスト自身の「世代的な」立ち位置も含まれます。また、セラピスト自身の知的ないろんな思索、職業人としても人としても、発達することと関連するいろんな思索も含まれます。しかも、それぞれ、新旧の臨床上のモデルや理論的なモデルやら、「その配置図」やらが、ご承知のように、臨床的な人品に生じた大事な変化に彩られてもいます。
精神分析の在り方は、教育分析やら、精神分析のセラピーの中での位置づけやらの影響を受けます。でも、その中にあって、セラピスト自身の思索も大事だと、エリクソンは言いますでしょ。本当にそうだと思います。
私が最も大事だと感じる思索は、心理学的な思索じゃぁ、ない。むしろ、人としての在り方、それも、子どもとの関係、と、その関係と人生の目的の関係ですね。それは、極めて哲学的であると同時に、非常にフィールドワーク的でもある、と強く感じていますね。つまり、最も大事なのは、実践哲学だ、ということです。
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