真実と≪聴く力≫とが、被災地の心理的支援に必要です北の浜 古くて新しい浜辺に行きましょう。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p106の冒頭から。 ...>......
テロ。そう聞くと,怖い。ギリシア語のテロ,τελῶは,1)終わらせる,終わる,2)成し遂げる,全うする,3)税金を納める,支払う,という意味があると言います。
この言葉は,イエス・キリストがなくなる件に出てきます。『新約聖書』の4番目にある「ヨハネによる福音書」の第19章にもでてきます。
「 死
28こののち、イエスは、もはやすべてが終わったことを知って、聖書が成就するように、「渇く」といわれる。29すっぱいぶどう酒を満たした器がそこに置いてあった。彼らはそのすっぱいぶどう酒を含ませた海綿をヒソプにつけてイエスの口ヘと差し出した。30すっぱいぶどう酒を受けると、イエスは「事は終わった」といわれた。そして、頭を垂れて息を引き取られた。」
前田護郎先生の翻訳は,聖書のギリシア語に忠実だとの定評があるので,「事は終わった」も正確です。でも,私は子どもの言葉で翻訳したい,という願いがありますから,「事が終わった」では満足できません。
τετέλεσται,テテレスタイ。東大の大貫隆先生によれば,τελῶの受動相現在完了形は,英語の現在完了形が「経験」や「継続」を意味するのと異なり,現在の受け身を意味するのだ,と言いますね。
それで,私はここのところは,「出来た」と従来から翻訳してんですね。「出来た」というのは,極めて能動的に見えて,実は,受動的!
子どもが,セラピーが終結になった時に示す,あの輝く笑顔。国谷裕子さんが「根拠のない自信」を見出す,「相手がいちばん輝いて見える」顔でしょ。
あの輝く笑顔は,いつでも,どんな場でも,イエス・キリストと同じで,「出来た」と,受け身で,しかも,能動的に言っています。
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