愛らしいジェームズ。愛着障害ではないみたい。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.206の3分の2、あたりから。ブルース・ペリー教授が描く愛着障害と間違われた子どものお話です。
私どもの診療所では、私どもは話し合いを大事にし、患者の治療については、職員会議で話し合っています。職員会議では、1人の子どものケースに関わる者はだれであっても、共に、その子どもの「世話役になる」のです。私どもは徹底的にその患者の子どもとのやり取りと、男でも女でもその患者に対する印象を、それぞれの職員が出し合って議論します。ジェームズ担当の職員の中では、担当医のステファニーが感情的になりましたね。ステファニーは、ジェームズのことをとても大事に感じて、ジェームズに関われないことを悲しみました。私はステファニーが涙ぐむのを見て、私の見立ては変わって行きましたよね。
非常に民主主義的にジェームズの治療とケアが進んだことが分かります。ブルース・ペリー教授らのクリニックでは、物事は民主主義的に進められています。良い治療、良いケアは、民主主義的な、オープンな話し合いから生まれるものなのです。
悪い治療、悪いケアは、反対に、「人間を上下2つに分けるウソ」を盲信する輩が、すぐにバレルとも知らずに、コソコソと裏から手を回し、口裏を合わせて、ニヤニヤしながら陰湿な計画を進めようとすることから生じてしまいます。今も、昔も、ダメなケア=子どもの人権を蔑ろにする「教育」には、「人間を上下2つに分けるウソ」を盲信する輩が必ず絡む、と相場が決まっています。
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