ルターの回心は、心の病からの快復と同じでした。
Young Man Luther 『青年ルター』p206の下から5行目途中から。
要するに、私が是非ともお示しようと思うのは、ルターが「大人にとって心豊かな信頼」って,どういうことかを基礎づけた時に、ルター自身が身に着けることがなかなかできなかった大人らしさ、示した,ということです。すなわち、ルターが信頼を回復したことが、ルター自身が,ことを始めることを精力的に取り戻したことに、現れています。信頼の回復が,ことを始めることに表れていることを示すために、私は、3つにポイントを絞ります。1つ目は、声と言葉を、信頼の道具として肯定する点、2つ目は、キリストが受け身の立場に立つことに、神様の「顔」だと認める点、3つ目は、正しい生き方を定義しなす点,です。
座間の事件の容疑者がほしかった顔は,本当は,死人の顔ではありません。
優しくて,温もりのある声の言葉をかけてくれる,微笑みをたたえた顔です。それは,子どものために,我を(自分の利益を)忘れて,関わってくれる母親の,教員の,友人の顔です。
我を忘れて関わってくれる顔の人の生き方,その関わりをしてくれる生き方が,キリストが受け身の立場に立つ生き方であり,正しい生き方です。
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